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耳をすまして目を凝らす

ハニューシカの全日本の、いい意味でのリラックスぶりに
ほっと胸をなでおろしている、いちフィギュアファン。
『これで君はまた111点を目指すことができる』
と、ブライアンがいったそうですね。ええ話や。
(このお休みでやっとこいろいろな情報をフォロー中)

芸術と技術の融合という点において、
すごいものを現在進行形で目撃している・・・・・・というか
拝見させていただいている、という思いが確信になった今シーズン。
ショパンの音のひとつひとつ、輝く飛沫をていねいに
拾いあげるような表現がすごく好きです。
(FPの和太鼓のぱんっ!! ぱんっ!! という響きに呼応しているところも)

みどりさん時代からつかず離れず、何とはなしにですが
(熱心な時期もそうでない時期もありますが)フィギュアを見つづけてきて、
とうとうこんな選手が出てきたんだなあ、と、
しかもそれが日本人だなんて、と、なんだかありがたくて拝んでしまいそう。

ギフト、と言う言葉についてしみじみと思います。
才能、あるいは賜物、恩恵という意味合い。
身体能力とこころの強さ、技術と意志の融合、
ギフトを持ってうまれてきたものが、なおかつ血のにずむ様な努力をして
存分に、自在に駆使する姿を見せてくれる。
それはありきたりな言い回しですがやはりなんとも稀有で『有難い』こと。
『幸福なマリアージュ』という表現をここで使っていいのかどうか
ちょっと自信がありませんが、でもそういわずにはいられない。

名人伝

中島 敦 /


『名人伝』(青空文庫のリンクです)


羽生選手ファンの友人との電話で、パトリックが話題になりました。
確かにいま現在、ハニューシカにアドバンテージはあるけれど、
ソチの前のパトリックは、どうやっても倒せないように思える、
にくったらしいほど強い存在だったんだよ、と、
こっそり胸の中でひとりごちる、わたしはそんな程度のパトリックファン。

パトリックのインタビューで
『ユヅルのことは気になるけれど、戦う相手は自分自身だ。
僕らはボクシングをやっているわけではない。
相手を叩きのめす必要はないんだ』
という記事を見かけた記憶があります。
(いまソースが確認できなかったので、情報としては話半分で)

彼等は自分の出来る理想を自分で冷静に判断し、構成を組み立て、
それを美しいしとなる表現に溶け込ませるのです。まさに眼福。

大晦日に、
『黄金のアデーレ 名画の帰還』
と、こちらの作品をはしごしました。
ありがとういつものジャック&ベティ。

自らのなかに描く理想、それを実現させる夢、そのシビアさうつくしさ、
なにより苦闘をありのままにうつしとった良作です。

『バレエボーイズ』(公式サイト



以下ネタバレなので畳みます。





以下公式サイトより引用。

北欧・ノルウェーの首都、オスロでプロのバレエダンサーを目指す3人の少年——ルーカス、トルゲール、シーヴェルト。男子はめずらしいバレエの世界で、ひたむきにレッスンに打ち込む。時にはふざけ合いながらも厳しい練習に耐え、お互い切磋琢磨していたが、ある日ルーカス1人だけが名門ロンドン・ロイヤル・バレエスクールから招待を受け、3人は人生の分かれ道の選択を余儀なくされる。 12歳から16歳というもっとも多感な4年間に、危うくもしっかり未来を見据えひたむきに夢に向かって踊り続けるバレエボーイズ。躍動感溢れる映像に、彼らのきらめく一瞬一瞬が刻まれていく。観たら必ず応援したくなる、夢、葛藤、挫折、挑戦、すべてが詰まった青春ドキュメンタリー。

※引用ここまで

「娘時代はよかったわね、何の心配もなくてたのしかった」
「そうね、お気楽だったわね。青春っていいものだわね、なつかしいわぁ」

乗りあわせたバスのなかで、品のいい老婦人ふたりが
語っておられました。
私じしんも母に、こどものころから
「どうせおとなになって社会に出て、結婚して子供を持ったら、
うんとうんと苦労するのだから」
と言われたことを思い出しました。
(母の想定とはやや異なる種類の苦労ではありますが、
年齢を重ねた今、えっちらおっちらなんとかかんとか
日々を過ごしています)

子ども時代の私には信じたくない不審な発言で、
不穏な予言でした。軽い呪いのようなもの。
いまだって充分不安で心配だらけで怖くてたまらないのに、
大人になるとこんなもんじゃないって、ほんと???

輝けるような青春なんて、果たして私にあったのかどうか。
それとも単に、忘れているだけ??
(リア充かそうでないかとか、あるいはなにかに対して
身を捧げるような真摯な努力をしたとかしてなかったかとかはさておき)

この作品はドキュメンタリーです。
そして作中で、キラキラ輝くまぶしい青春ものではなく、
寄り添うことなく突き放すわけでもなく、
ただひたすらにていねいに活写される彼らの姿。
でもそこが素晴らしいと思います。

『ビリー・エリオット』は大好きだけど、
踊りださずにはいられなかった少年と、
彼を導く教師の姿に心ふるえる作品ですが、



自然光のもと、光と影の両方を精密画のように描き出す
この作品の味わいはまったく別のもの。

一時期を共にした彼らは、同じ場所にはいられません。
やがてそれぞれの道を歩いてゆくことになる。
でもそれでいいのです。それが素晴らしいのだと思います。
同じ場所だと思えていたのは、それぞれの輪郭が未分化だったと
いうことなのだろうと思うから。
自分のかたちを欲望を知り、そのうえで独立した人間同士として
深めることは可能だし、たとえその必要がないとしても、
それは嘆くことではきっとないのです。



僕らの住むこの世界では、旅に出る理由があり、
誰もみな手を振ってはしばし別れる、のだから。

フィギュアスケートの世界でも、同じなのかもしれないと、
そう思いながら映画館を後にしました。

彼ら/彼女らはそれぞれに自分自身を見究めて
その中での理想を、最上を体現しようとする。
その姿を前にして、私は謙虚にならざるを得ないし、

自分の中の最上(のなにか)を見つけたくて、
おもわず耳をすまし、目を凝らし、手で探ってしまうのです。
それが感動ということの正体なのだろうとも思います。

by chico_book | 2016-01-03 05:23 | 映画 | Comments(0)

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