明るい曇りのなかで見る桜は、いつでも私を2003年に連れてゆく。
すこしだけ。
2003年4月6日、motoGP(二輪のレース)開幕戦を観るために、
鈴鹿サーキットに私はいました。
非の打ちどころのないほど満開の桜があちこちにこぼれ、
明るいけれど暑すぎないていどに晴れた春の光、
そよそよとそよぐ無数のフラッグ、
ああ、うつくしい日本の春を世界中から来たライダーたちにみてもらえる(ドヤ)、
のどかに誇らしい気持ち、そしてこれからまた一年はじまるのね、
と言うわくわくうきうきした気持ちでいっぱいでした。
とてもとても応援していた選手、参戦2年目で、
本気で今年はチャンピオンいける!!! と
(おそらくその場にいた誰もが、と断言できると思う)
思っていた選手がいまして。
(名前をつづると、その字面をみるたびさみしくなるので書きません)
その彼が、サーキットで、その日のレースで事故にあいました。
サーキットに響いた
『ゼッケンナンバー74番が帰ってこない!!』
と言うアナウンサーの絶叫、
モニターに映し出された動かないライダースーツを目にした時の衝撃、
ドクターヘリがその銀色の胴体をギラギラ輝かせながら飛んでゆくのを、
いまでもまざまざと思い出すことができます。
なんて言って、色が違ってるかもしれませんけど
(最近めっきり自信ない)
その日から、明るい春の陽ざしのなかの満開の桜を見ると、
こころがすこしざわつきます。その不穏さがゆらりと立ち上がってくるような。
たぶんこれからもずっときっと。
森山直太郎さんの『さくら』が、どこでも流れていた年で、
この曲もわたしにとっては鬼門になりました。つらすぎる。
いまでも、街角で聴こえてくると、なるたけ耳にしないように
努力してしまいます。ついつい。どうしても。
しろくろの姿の、あったことはないけれど、
モニター越しにとても親しい気持ちをいだいていたにゃんさんが、
にゃん格の高いおっとりとやさしい素晴らしいお兄ちゃんにゃんが
(ちこの方が圧倒的に年上なんだけど、ついお兄ちゃんにゃんと
呼んでしまいたくなる)旅立ったと、伺いました。
闘病のなかでも、おおらかで優しい空気をまとった
とても素晴らしいにゃんさんでした。
フクちゃんに、こころからありがとうを捧げます。
他のことばが見つからない。
ほんとうにありがとう。
ご家族の皆さんも、どうかごゆるりと心を休めてください。
無断で記事にしてしまってごめんなさい。
フクちゃんに、お花と言葉を寄せたくて、勝手をしました。
どうか気にしないでくださいね。
※この記事については、コメント欄も閉じさせていただきます(ぺこ)
お散歩大好きだったフクちゃんに、
地上の無数のちいさな星のようなはこべを。