ちいさなたましいのお見送りに(ご家族のご厚意で)立ち会わせていただきました。
感謝。
(たたみます)
長い闘病をおくっていたこと、
それでも最近は安定していたこと、
たいへんひとなつこく、おおらかで素直でほがらかでした。
みんなきみのことがだいすきだった。もちろんわたしも。
からだの自由が少しずつなくなってからも、
おててのダンスで意志を伝えてくれて
それをこちらがうまくくみとると、ゴロゴロと満足をおしえてくれたこと
あごをなでると、ざりざりと毛づくろいのお礼をしてくれたこと
ねむっているような表情で
どうしておなかが静かに上下していないのか不思議で
まだ毛並みもとてもきれいでふわふわで
肉球もぷにぷにで
お耳の先もやわらかで
まるで変わらない様に泣けて泣けて泣けてしょうがなかった。
(うちのこではないので)詳細は略ししますが、
さいごまでみんなにやさしくほがらかでした。
ありがとう。
私があいさつ出来るタイミングにしてくれるなんて
そんなところまでやさしくなくていいのに。
ほんとうににゃん格の高い、にゃん望の厚いにゃんでした。
大好きだったおもちゃと一緒。
お庭で咲いていたばらと一緒。
これからずっと、ばらの季節になるときっと思い出す。
ご家族と一緒に、空に帰るのにたちあわせていただきました。
欧米児童文学の定番で
『猫や犬には天国で会えるのか
(キリスト教の定義として動物には魂がないので無理説の是否)』
※門外の徒なので違っていたらすみません
というのがありますが、
そうね、たしかにたましいはないかもしれない
もしそれが裁きを受けたり懺悔や告白が必要なものならば
そんなものは持ちあわせていないかもしれない。
だってそのままでいいんだもの
なにをしなくても充分にうつくしくきよらかだもの
ニンゲンとはステージが違うんだもの
(それでもなにもないとは、到底思えないけれど)
なんてことをぼんやり思いながらあかるい夕陽の中ゆっくりと待ちました。
陽のながい季節でよかった。陽のながい場所でよかった。
遅い帰宅になりましたが、
ちこは変わらず出迎えて寄り添ってくれました。
ありがとう。
いまでも泣けて泣けてしょうがない。
ここ数日の肌寒さからか、あるいは配慮なのか、
ちこも二割増しくらいの熱心さでくっついてくれています。
とにかくベッドに来なさい、早く寝ましょうよアピールも盛大熱烈。
ありがとう。ぐずぐずぐだぐだなワタクシ、ねこに支えられています。
車の窓から今年のお花見をする(故)にゃんのお写真を見せていただきました。
ふわりと桜の花びらが一片顔にかかっていて
すばらしく明るい綺麗な、透明度のある翡翠のような瞳で
エリザベスカラーをつけたまま、しんけんに空を見上げていました。
なんだか夢のようなかわいさ邪気のなさ。
これは天上の存在かもしれない、なんて思ってしまうほどに。
ねこは年をとればとるほど、いとけなくなってゆく気がする。
シルエットまで完璧なひとたち。それがねこ。
はなれていた私ですら、(ちことはちがう)かおのまるみが、たなごころにすぽんとおさまっていた感触やだっこした時の思いがけない軽さを(と言うかちこのおもみ………)不意に思い出します。ご家族の思いはいかばかりか。
ありがとう。ありがとう。だいすきだいすき。感謝のことばしかでてこない。ご家族には全霊で気持ちを添えさせていただきます。そんなことしかできないけれど、そうせずにはいられない。