でもちょっとせつない「第4回 猫・ねこ写真展」にいってみました その2

確かに、こんなの目の当たりにすると、
いいカメラがほしくなります。
めんどくさがりで機械嫌いの私でも。
もちろん、それを使いこなせる自分の腕前も、
あわせて準備できなければ意味がないって、わかっているけど。
それでもね。一瞬ね。

でも。
クリアに鮮明に、ほわっと立つような浮き毛(いまつくった造語)の
一本一本まではっきりと、
ねこの耳の中のかすかな血管や肉球のつやぴかぶり、
肉球の間にみっしりと詰まって生えてる指毛の持つ
ふわふわした空気まで
余すことなく写し取っているのをみてしまうと、

逆に

いつかこれらが失われる、いってしまう日が来るのだと
いうことへのほわりとした恐怖がわいてくるのです。
ペシミストと言うよりは、あほの子全開。
まさに空が落っこちるってやつの『杞憂』ですね。

もちろん空が落っこちるよりは、
私とうちのこの(この文脈が悲しすぎて名前を書きたくない…)
別れが来るほうが確実で不可避な事態ですが。
わかってるてばよ!

愛する、大切にする、いつくしむ、と言うのは
その総てを含めてのことだと、
わかってはいるのですが、それでも、

いなくなったあとも、
はっきりと映しとられていた魂の器はそこにある。
その姿をみると、切なくなってしまいそう。
……結局愛するものをなくして辛くない筈ないのですけども。

作家の町田康氏がこんなエピソードを書いていました。

見送った猫をPCの壁紙にしているのだが、
電源を落とす瞬間、ふっとその姿が白黒になる。
その時に毎回、ああ、死んでしまう、
と思ってどきっとする。
筋のとおらない話だが、自分はその感覚を忘れたくない。
そのねこの記憶が薄れるのが嫌で、そこでどきっとしなくなるのが嫌で、
自分はその猫をいつまでも忘れずにいたい。

そして、お外の子達のことについて思いを馳せてしまった。

のびのび自然にくつろいで見えるお外の子たち。
桜吹雪の中のねこ、しっとりと濃い緑のなかのねこ、
月夜にシルエットを浮かび上がらせるねこ、
燃えるような紅葉の中にたたずむねこ。

彼らは彼らの世界があって、その法にしたがって
生きているんだと、わかっているけれど。

おうちの子になればみんなハッピーなのに、と、
脳天気に思っているわけではないのだけれど。
それでも、彼らの幸せを、ねこ生を思うと、
胸がいっぱいになる。

盛りの梅の下ではかなくなっていた、公園ねこくろちゃんを思い出す。
氷雨と呼びたくなる、冷たい雨の中
『くろちゃん、寒い寒いだよ、そんなとこでねんねしているとだめだよ』
と、近寄ったときに、既に息をしてなかったくろちゃん。
いつも梅見の宴会おじさんたちに、
するめや缶詰をもらっていた愛想よしの、ぶちゃいくねこくろちゃん。
うちのベランダでちこにフルボッコにされてました(ひどい)

f0257756_5355053.jpg
写真は在りし日のくろちゃん。
あまりに小さすぎてかわいそうですが、せめて。
のんびり冬の日を浴びて日向ぼっこしています。
くろちゃんだけに、すぐほかほかになっていたはず。たぶん。

私に出来ることなんてほんとうにごくごくわずかだけど、
せめていまここにいる間は、幸せにする事ができればと、切に祈る。
私の椅子を占領している、小さな猫神様に祈るよ。

明日になればまた私は仕事に出かけますが(涙)
せめて、いまだけ。







そういえばうちの壁紙はねこでなく、モルモットちゃんです。
珍しい真っ黒な巻き毛で、鼻のところだけ白い、
体が小さくてちょっとよわっちい、
けれどものすごく個性的な甘えん坊大賞で、大将でした。

なんとなくだけど、ずっと変えてません。
こんなにもねこにべたぼれで、まわりはちこにゃだらけですが
なんとなく。ほんとうにただなんとなく。
それを見るびに、あ、かぷ(名前)だ、こんにちは、かぷ、
いつもかわいいね、と思う。それだけ。
(そしてさっきちこが自分で、
自分の写真の入ってるフォトフレームを蹴り落としましたとさ)
[PR]

by chico_book | 2013-02-24 22:25 | ねこ | Comments(0)

名前
URL
画像認証
削除用パスワード