これを描くのは辛いと思う

東村アキコ「かくかくしかじか」
※一部ネタバレあり

かくかくしかじか 2 (愛蔵版コミックス)

東村 アキコ / 集英社



「ママはテンパリスト」で披露した破天荒な子育てエッセイマンガが大ブレイク、
創作でも「主に泣いています」「海月姫」と、
快調な作家生活を送っている(ようにお見受けする)東村アキコ氏。
宮崎出身の彼女が、漫画家になるまでの若き日をつづった自伝的作品。
と思って読んでいるのですが、作中ではまだ漫画家になってないので、憶測です。はい。

一巻での主人公は、宮崎の田舎でほわほわのんびり高校生活を送る女子高生として登場。
美術部で楽しく絵を描いていた東村さんは、
「美大に行って学生のうちに漫画家デビューしてブレイクするあたし☆ヒャッホー! 」
な将来を漠然と描いていて、周囲もそれを(大した根拠もなく)疑わずにいる。
あっこちゃんは子供の頃から絵がうまいけんね、みたいな。いわば楽園育ちの主人公。
※ちなみに作中では、主人公は本名の「林明子」で登場します。

そんな彼女が同級生の美大受験仲間の通う絵画教室に、
便乗して通いはじめるところから物語がうごきはじめます。
「天才女子高生あらわる! なんて騒ぎになったらどうしようー☆」
と能天気に足を踏み入れた絵画教室にいたのは、ジャージに竹刀を持った強面のおっさん。
ほぼチンピラ。実はそのおっさんが先生で、
「なんやお前、こん下手くそ下手くそど下手! いっぺん死んでこい!!」(意訳)
とばかりに、竹刀ぶんぶん振り回して、自称天才女子高生をこっぱみじんにします。
すごいんだこれ。昭和の田舎にはいた、こういうおじさん。

その絵画教室は美大受験用というわけでもなく、
小学生の兄弟がいたり、おじいさんがずーーっと同じアイテムに取り組んでいたりという、ある意味不思議空間。
ちなみに、そのおじいさんが描かされてるのが「ティッシュの箱」というのが、破壊力ありすぎ。
「児玉さん(と言うのがおじいさんの名前)だって、花とか風景とか描きたくて教室通ってんじゃないの? 
ずうっとティッシュの箱描いてろって、あんまりじゃん」
という主人公に、
「基本の立方体が描けんでどうすっとか! これが描けるようになったら、何でも描かしてやる」
と反論する先生。都会的でスマートな、ちょっとアートとか志向しちゃって、
みたいな美大受験予備校の真逆。真逆もいいとこ。
そんな先生の元に、戸惑いながらも通いはじめる主人公。
来る日も来る日もデッサンに取り組む、というか取り組まされる。仮病を使ってさぼろうとしたこともある。
けれどそのたびに先生のまっすぐな心配とか、絵に向かう姿勢とかに引き戻される。
そんな日々が、作者特有のキレのいいギャグを交えながら描かれます。
 そしていよいよ美大受験の本番を迎え、センター試験を終えて二次試験に臨む。しかも「らくしょーらくしょー、合格じゃん!! 」と思っていた本命校が実は不合格。第二志望校の二次試験の真っ最中に、それを竹刀先生が暴露するという最悪の展開。
「おまえおちとったぞ! もう後がないけんがんばらないかんぞ」
1巻はここまで。

 南国・宮崎育ちの少女にとってなじみのない3月の金沢、
少しずつ言葉を交わすようになって心強さを与えてくれた同宿の受験仲間たちは、
二段階選考であっと言う間にいなくなる。そのシビアな世界をうまく認識できない主人公。

試験にでたのは見たことのない石膏像。
自画像しか描いたことがないのに、課題には男性モデルが登場する。
道具すら自分の知らないものを使いこなすまわりの受験生。
ひとつひとつが丁寧に積み重名って、追い詰められてゆく主人公。
もうだめだ。落ちた。
そんな気分で宮崎に帰ってきた彼女を、散歩に連れだした先生。
道端の石を見て
「見ろ! いい石やないか! お前次はこれ描け!」
「やだよ、ただの石じゃん」
「バカかお前は! 本物があるみたいに石一個描いてみろ!! 
マドリッド・リアリズムみたいなすごくかっこいい絵になるぞ!! 
いいか、お前一年間毎日うちで描け。そしたらどこでん合格するけん」
そんな会話のあと、泣きながら帰宅した彼女に届いていたのは、なんと合格通知。
夢にまで見た美大生としての生活がはじまるのですが、ここで一気に筆を持てなくなる。
 あれほどあこがれた、毎日毎日油絵三昧の日々のはずなのに、描くことができない。
その怖ろしさに向き合うことができず、結果遊んでばかりの大学生活に逃げる主人公。
その姿がつぶさに、痛みを持ってきちんと描かれています。

「在学中に二人展をやるけんたくさん描けよ」
「課題はどんなんか? 絵をかいとるか?」
先生のまっすぐな期待が、ありがたくて申し訳ないのにうざい。
応えられない自分がもどかしい。でも動けない。

『さあ 地獄の四年間の始まりです』

 作品中に、随所に織り込まれるのは作者の現在の姿。
シングルマザーとして一人息子を育てながら、アニメ化・ドラマ化される多くの人気連載を持ち、
プロダクション形式でアシスタントを抱える多忙な、成功した漫画作家としての東村氏。
そんな作者がその当時の自分に向き合う姿が鮮明に描かれています。

 印象的なのは、その距離感。
遠い過去の、若く幼かった自分への言葉や語りかけや悔恨でありながら、そこには距離が感じられない。
痛みも、傷もまったくかわらずそこにあるものとして描かれている。
はたちそこそこの、愚かで子供だった自分の受けた(あるいは人に与えた)傷が、そのまま、
乾きも干からびも癒えもせずに、そのままそこにある。
 それは遠い日の花火でなどない。甘く苦い思い出でもない。ただのリアル。
今まさに、そのとりかえしのつかなさに苦しんでる、苦しみ続けている姿だと思えてしまうのです。

「若かったからしょうがないよね」
「ばかだったんだよね」
「子供でなにもわかっていなかったから」

すべて事実。すべて過去に起きたこと。だけど、作者はそれを「美しい・あるいはにがじょっぱい青春の思い出」ではなく、いま現在自分が向きあっている問題として、つぶさに向き合っているように思います。
 仮想メモリー(鴨居まさね@「雲の上のキスケさん」)じゃないけれど、自分の過去のことはなにかと綺麗に改竄してしまいがち。明らかに自分に非があるとわかってる「黒歴史」ですら、言い訳とともにパッケージングして、なかったことにしてしまいがち。ましてや成功した立場の人間の自伝となれば、なおのこと、なにより読者の側もそれを望むきらいがある。。
 それはそれで悪いことではないと思います。ひとつのけりのつけかたであり、ひとつひとつきちんとけりをつけて、前に進んでゆくのは必要なことだし。
 ただ、この作品を読んだときに、こういう向き合いかたもあるのか、と思った次第です。このしんどさと向き合うこと、向き合いつづけること、逃げないことがこのひとの作家としての資質となのか、と、考えてしまった作品。
傷を笑い飛ばすのも、傷にみえないように加工するのも、ドラマに仕立てるのも、みなそれぞれの作家のそれぞれのやり方。

大人になると言うのは決着をつけることだけではないのだな、と思いました。
忘れないと言うこと、見逃さないと言うこと、かわさずにうけとめるということ。

過去を引きずって生きるってのもしんどいよ、というようなことを
本日の『あまちゃん』でキョンキョンさん、いや春子さんが言ってましたね。
でもそのしんどさとガチンコで勝負するのも、ひとつのありかたなのかしらん。

とりあえず、
この先どこまで描いてくれるのか、楽しみな作品です。
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by chico_book | 2013-07-27 22:44 | まんが | Comments(2)

Commented by at 2018-09-08 02:04 x
>都会的でスマートな、ちょっとアートとか志向しちゃって、
>みたいな美大受験予備校の真逆。真逆もいいとこ。

これ作中でこう言ってんの?
美大受験する奴らの中に立方体が描けない奴なんているわけねだろ
素人からすれば何が面白いのかもわからん、箱だの空き瓶だのリンゴだのを延々と描き続けてんだぞあいつら
ほんとこの作者って妄想で貶めるの大好きね、美大コンプ持ちかな
Commented by chico_book at 2018-09-09 21:48
あ様コメントありがとうございます。

いまこの本が手元にないので確認できないのですが
(申し訳ありません)
たしかこの発言はまだ高校生で、
美大受験を決めたばかりのころで、
そのあと真面目にデッサンに
取り組んでいたようには思います。
ただ〈あくまで本人の弁によれば〉
実際に合格して美大生になってからのほうが
課題に真摯に向きあえなくなった自分を
責めるような気持が強かったような。
クリエイションに対する想いが
愛憎なかば、の姿勢を
自分でつまびらかにするのは
辛いだろうなあ、と思って
この記事を書いたのですが
その後の作品もろもろを見ていると
特に変化もないような
(あるいは裏打ちされて強くなってしまったような)
印象を受けています。ううむ。

東村さんに内在しているコンプレックス問題は
なかなか興味深いですね。
承認欲求というのに近いのかな。
作品すべて読んでいるわけではないので、
なかなかまとめられずにいますが。
この方と西炯子さんの、
外部への「認められたい」欲望、のようなものの
相似と差異は、なかなか興味深いです。


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