ただの備忘録

昨日の14時過ぎ、はっと息をのんだ。窓の外は明るい陽射しと裏腹の冷たい空気。春めいた透明な光。
3年前はどうだったかな。雨ではなかったと思う。

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◎以下私的な記録というか覚書なので、一応畳みます◎





窓にかかっているブラインドが、短くかたかたと鳴りはじめた。
それが少しずつ大きくなり、職場のみんなで顔を見合わせるころには、既に遊園地の海賊船のように揺れていた。激しく、大きく、強く。
クレッシェンドってこういう感じ? とのんきな考えが頭をよぎったことがなんだかおかしい。
がしゃん、がしゃんと激しい音を立てて暴れるそれは、最早立派な武器だった。
音がうるさいので抑えようかと一瞬考えたが、そんなことは既に無理だった。
窓ガラスを突き破るのではないかと不安になる勢い。
次々に倒れはじめるハードディスクとモニター、
キャビネの扉が開いて飛び出してくるキングファイルは『ハイジ』の山羊たちが、
牧場の柵を飛び越えるシーンみたい。ごうごうと濁流の様に流れ落ちる引き出しと書類。
複合機の巨体が移動しはじめる。
ずり、ずりりと移動の勢いを増してくる100キロ超の巨体が、足元に潜ませたキャスターで
床のパネルカーペットをはがしながら不気味に近寄ってくるのだ。
備え付けのヘルメットを『ほこりまみれじゃん』などと言いながらたどたどしくかぶり、
あたりをうかがいながら机の下にもぐる私たちに緊張が走る。
あんな重いものがむかってきて、壁に挟まれでもしたら大惨事だ。
ようやく、事故はこういうふうにして起こるのかという思いあたる。間が抜けているにもほどがある。

カード認証のドアは歪んでしまって、開かなくなった。
搬入用の非常ドアが解放され、おそるおそる、しかし慌てて部屋を出る。
とにかくおさまった、ひと心地つけようとウォーターサーバーでお茶を入れて自席に戻った。
『チャレンジャーだねぇ』
と言われて、余震の可能性に初めて気づく。ばか。
携帯で情報を確認したり、ニュース映像を受信するためにモニタや回線をセッティングしているに
第二波が来た。机の下にもぐりながら、お茶を飲み終えた後であることに感謝する。
横浜は震度5弱。耐震ビルのためか、揺れはいつまでも続いた。

「震度5以上の揺れを観測しました。○○階以上の方から速やかに階段での避難をお願いします。
エレベーターは絶対に使用しないでください」

ビルの防災センターからリアルな放送が流れた。訓練でしか聞いたことのないフレーズ。
防災担当者が、ほこりをかぶった旗や避難袋を引っ張り出し、班ごとに点呼をはじめる。
この時点でも、まだ現実とは思えなかった。

私の職場は最上階に近い位置なこともあり、階段で降りるのにはひどく時間がかかった。
か細いものとはいえ、不気味にひびわれの入った壁を眺めながら
ぎゅうぎゅうの非常階段でひたすら待つのは長く長く感じた。

『いまここで揺れたらいちばんやばいよね』

誰かが言って、力ない笑い声がそれに応じた。とにかく、一刻でも早くそこから出たかった。
でもそのためには、じっと待っているしかないと従順な日本のオフィスワーカーたちは信じていた。

『外に出ろってさ、何かが降ってきたらそのほうがあぶなくね? 』

私は、分厚い窓ガラスと、それを執拗に攻撃していたブラインドを思い出した。
非常階段は薄暗く、携帯の電波も入らず(もしかしたら単に混雑していただけかもしれない)
まるで不安を増幅する装置のようだった。
心理学でこういう実験ってありそう。ハムスターを箱にぎゅうぎゅうに詰めたような。
そんなことを思いながら、ひたすら待つ。

『駄目だ、先行ってて。俺狭いところにヒト多いの無理』

毎日2時間近く満員電車に揺られているはずのひとが途中の階に脱けた。
私を含めて、残りの人間たちはのろのろ階段を降り続け、ようやく外に出た。
そこで部署ごとに点呼を取る。このあたりから情報が入りはじめる。
地震がとてつもなく広範囲だったこと。震源は東北らしいこと。千葉のコンビナートで火災が起きてるらしいこと。
ワンセグでニュースを見ている人が「俺の実家のそばじゃん」と言う。呆然という。
みんな連絡をとりはじめる。メールも、ツイッターも、電話も、いっせいに。
このころはまだつながりにくくはなかったように思う。
このビルにこんなにも人がいたのかと驚くくらいたくさんの人が、目の前にいない人とつながろうと躍起になる。
なんだかシュールな光景。私も電話をした。九州は無事。よかった。
ちこはどうなんだろう。いいなあ皆は電話できて(ちこには電話ってわけにはいかないもんね)。
このときはそれだけだった。まだ津波のことは知らない。
もしかしたらまだ発生してないくらいのタイミングかもしれない。福島のことはもっと知らない。

とにかく大変なことが起きたというのだけは明確。業務上の対応についても検討がはじまる。
近くの小学校から下校の生徒が混ざってきて、混乱に拍車がかかる。
ちいさい子供さんがいる人は優先的に帰宅してよいという指針が出た。
無事に子供さんと会えた人が、引継ぎをして帰ってゆく。
お母さんの腰にかじりついたちいさい背中を何となく見送る。

ビルの安全確認が取れたので、残りのメンバーはいったんオフィスに戻ることになる。
しかしエレベーターは動かない。階段を上るしかない。
「階段上っているうちにエレベーターも復旧するんじゃない? 」
と生ぬるい考えのひとたちで、エントランスはごった返している。しかしなかなか動かない。
ビルの中のコンビニとスタバは難民避難所の様相を既に呈している。
あらゆる食べ物と飲み物が既に底をついていた。フリスクとのど飴くらいしか残っていない。
みんなすごいなあ、とわが身の間抜けさにまたもやがっくりしながら、
あきらめてとぼとぼ階段を上がることにする。腹を括ることにしたのだ。
一緒にあがりはじめた人はもちろん、下からくるひとにどんどん追い抜かれる。
10階以上階段を上ることなどまずないのでへとへとになる。なりながらものぼる。
このままここ(階段室)で行き倒れるんじゃないかと、真剣に不安になるが
誰かが見つけてはくれるという安心感はある。

へろへろのまま、残りの業務を分担する。交通網は全滅。
2時間歩けば帰れる距離を目安に、帰る人と残る人の線が引かれる。
居残り組の、どうせ電車止まってるからここにいた方が安全だし、という言葉に
暖かく送られて、私も歩いて帰る。

いつになく静かな町。車がほとんど走っていない。いるはずのタクシーも見かけない。
黙々と歩くひとが多い。とにかく多い。あちらでもこちらでも、ただ黙々と歩いている。
(横浜の住宅地だからか、ニュースで見たような歩道寿司詰めラッシュ状態ではない)
日の落ちた春先、空気がしんしんと冷たくなってくる。

「ねえあなた、おそろしかったわねえ」

知らない御婦人に話しかけられる。ええ、ほんとうに。びっくりしましたよね。

「私は8階にいたのよ、あそこ段差があるでしょう? 
もうね、そこでガタガタってすごい音がして怖くて怖くて」

(どこの8階だろう??)本当に、震度3くらいまでは時々ありますけどね、
震度5だそうですよ。なかなかないですよね。

「そしてねえ、コンテナも船も流れてっちゃって、こわいわねえ」

※この段階で、私は津波のことは知りません。なので、このご婦人の言ってることも、なんのことだかわからず。

「ねえ、あなたアメ食べない? わたし緊張して口が渇いちゃって。それにしてもバス来ないねえ」

いただきます。バスは、動いてないかもしれませんね。

静まり返った街の中でときどきサイレンの音だけが響く。
不穏で不安ななか、ようやっと帰った家の中で、
さぞや怯えているだろう、あるいは何かの下敷きになっているのではないかと
心配していたちこは、まったくの平常通り。

「おかえりっ♪ さあ、なでなでしなさーい!」

と、いくらか(本とか何かそういうものが崩れて)荒れている室内でご機嫌さん。

そして友人との電話で
『はやくニュースつけて』
と言われて、はじめてご婦人の発言の意味を知りました。
そして落ち着くまで、友人は電話を切らずにいてくれました。ありがとう。

※これはただ、思い出すままに書いた記録です。ちょっと実験してみました。結構覚えていることに驚き。
ただ事実ありのままを時系列で、というメモですが、それに付随した感情の動きなどは、
時間の経過とともに、上澄みのように残るものだけが自分の中に残ってゆくのだと思います。自然に。
今はまだ生々しいかな。そうですね、思ったよりも生々しかった。

なので、この記事はこれだけでおしまいにします。
なんかいろいろ考えたいこととか思いついたこととかなくもないけど、
もう充分長いし(遅いし)その割にまとまってないので。 

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黄色い花は、特に春の花というイメージがある。
この明るさが春の光に通じるのかな。菜花は特に。
菜の花と言えば遠賀川で、友人に会いに行くのに、
トコトコ電車に乗りながらぼおっと眺めていたのを思い出します。
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by chico_book | 2014-03-12 02:21 | 日々 | Comments(0)

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