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なかなか守れない目標の話

早寝早起きもそうですが(!)

映画は月に2本まで、展覧会は月に1か所まで

と、言うのが今年の目標だったはず。

今月に関しては映画は守れそうです。6/1に2本梯子したっきり。
ブルージャスミン  チョコレートドーナツ

でも観たい映画があるのを、後回しにしている状態なので、
これで守れているといえるのかどうか・・・・・・。

美術館に関しては、上野のバルテュスと、
新宿・損保ジャパンのハーグ派展に行ったのでアウト。うむむむ。
でもどちらも、行ってよかったのでしょうがない事だと思う。

7月になってから見る予定の映画は、
以前紹介した『みつばちの大地』と『大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』(記事はこちら

そしてこれは見逃がしたくないのですが、
6/5から既に公開されているので、そろそろ心配なこちら。


最近重ため・しっかりめの映画が多かったので、気分を変えたい。
ホテルもの、しかもグランドホテル、美術品絡み、時代設定、東欧、
どれももれなく楽しそう!!

映画も展覧会も楽しいんだけど、週末における
時間と経済のバランスがむつかしいのです。なにかと遠出になりがちだし。
ほかになんにもできなくなっちゃう。

そんな中、展覧会からみで読んだこちらはとても面白かった。

世紀末の赤毛連盟―象徴としての髪

高橋 裕子 / 岩波書店



赤毛であるということの意味合い、それが異端であり集団になじまない
(和を乱す)ものである事を踏まえると、アン・シャーリーが
『なんて赤い髪だろう』
と言われたことに激高する理由への理解が深まります。
単なる好悪以上の意味合いがあったのね。
しかしその激昂こそが、いかにも赤毛の性格ぽくもあり。
アン自身の尽きない『赤毛憎悪・金褐色へのあこがれ』がなんとも切なく思えます。
(もちろんタイトルはホームズものから来てるのですが、
いかんせん私がホームズを読んでないので(観てはいます(笑)そのあたりはさらりと)

そして『赤毛のアン』のなかでも、アンのことを
「あのチチアンの髪の少女は誰だい? 」
と、プリンスエドワード島に避暑に来ていた画家に言わせているあたり、
同時代のイギリス美術界の中世イタリアへの傾倒ぶりがここでも透けて見え、
唯美主義やラファエル前派ともリンクしました。私の中で。
(チチアン:赤毛の女性を多く描いたティツィアーノ(1488年-1567年)由来のことば)

親友のダイアナの名前が『異教の女神』でいかにも不穏当、と
いう描写もありましたが、黒髪もまたオリエンタリズムの代表なんだとか。
ダイアナ本人はいたっておだやかな人間ですが、
そのあたりのちょっとしたニュアンスをふまえることができて非常に満足。
そういえば『デスパレートな妻たち』でも、完璧主義で(やや癇性な)
ブリー・ヴァン・デ・カンプも赤毛で、
『あの赤毛女』と呼ばれて眉を吊り上げておりました。

いろんなことがさりげなくつながってるような、
ちょっとこじつけかななどとおもいつつも、何とも興味深い一冊。

少女漫画の髪の描写、あるいは19世紀後半の美術が少女漫画に与えた影響
(少女漫画が積極的に取り入れたというべきかな)についても、
読み応えある本でした。
そんなわけなので、細々とでも映画も展覧会も読書も続けていこうと思うところ。
無理のないプランで、ご利用は計画的に!

黒髪のエキゾチシズムと言えば、どうしても名作中の名作を思い出す。

トーマの心臓 (小学館叢書)

萩尾 望都 / 小学館


ご紹介するのも恐れ多いほど。す、すみません(もう謝る)

by chico_book | 2014-06-25 01:46 | 日々 | Comments(0)

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