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エアラインと思い出と映画

私のはじめての海外旅行は、マレーシア航空でした。
旅慣れた友人が誘ってくれた東南アジアリゾートホテルの旅。ワオ。
そのあと何回か海外にはいきましたが、こんなプラン、というかそもそも私の経験の中で、
添乗員さんフル同行ツアーなんてこれだけです。いまのところ。

ペナン島とクアラルンプール、そしてシンガポールを巡る旅。
内容のわりに格安だったこと(確か6日間で¥69,800だったはず)、
彼女とはその前にパリ旅行を2回も計画したのに(1回目は湾岸戦争、2回目は私の事情で)
2回とも流れてしまったという悲しい経験あり。
なので、気を取り直してのんびりゆったり、リラックスできる
東南アジアリゾートに切り替えてのトライだったのです。
友人はそのわずか3ヶ月前にシンガポールを訪れていましたが
「すっごく楽しかったから、一緒に行こう!」
という流れでのチョイスでした。いまでも嬉しくあたたかく懐かしく思い出します。

はじめてというのはすべからくそういうものかもしれないけれど、私にとって、
とにかくひたすらに素晴らしい旅でした。
タラップを降りて「じゃーん!!」と両手を挙げたことさえ今でも覚えています。痛い。痛いオトナだ。

『空港においてあるマッサージチェアが壊れていて、お金を入れても動かない。
ねえ、どうすればいいのかしら。あなたなんとかしてくれない? 』
と、同じツアーのお客さんに(何故か)頼まれた時に、空港の方に説明するのに
「BROKEN」という単語すら出てこなかったほどの緊張とか無知とか旅慣れなさっぷり。
そりゃそうです、なんたってはじめてなんだもの。

しかも、私と友人は
『どう見ても貧乏人、つまりお土産屋さんに連れて行き甲斐のない客』
認定を早々としていただいたようで(ありがたや・そして事実)、
添乗員完全同行・バスで観光地とお土産屋さんめぐりタイプのツアーであるにも関わらず、
『私たち興味ないんで現地観光パスします』
と、言う申し出がやすやすととおってしまったほど。
これがふつうはまず通らない申し出であることすら、私はわかっていませんでした。

おかげで同じツアーの、ほかの皆さんに噂(というかデマ)が飛んで
「あなたたち体調悪くてずっとホテルにいたんですって? 大丈夫? 
日本のお薬ありますよ」
とやさしくされる始末。
ついには『マーライオンのポストカード』までおすそ分けしてもらうほど。

実はその時間には、ホテルのアフタヌーンティーにイチゴのシャンパンをつけて
優雅なロケーションに酔いしれていたり、
シンガポールチキンライスのおかわりをしたりと、好き放題していたというのに・・・・・・!!
(食べてばっかりですが)

はじめてみたアンダマン・シーは翡翠を溶かし込んだような色で、海と言えば青、
それも内側から黒さ深さが滲み出すような群青あるいは紺碧がその美しさだと
思っていた私の認識を一度に変えました。
クアラルンプル、摩天楼のど真ん中、ホテルの屋上のプールにぼーーっと浮かんで、
強烈な紫外線を存分に浴びたことを覚えている。
すこしだけの不安と、そんなことどうでもいいや、という気持ちが
ないまぜになったまま。

シンガポールののホテルはベイエリアでした。
ちいさなベランダに腰かけて、夜の底から朝までずっと、
港を行きかうそれはそれはたくさんの船やタンカーを眺めました。
興奮して寝付けなかったこともあるのだけど、とにかく飽きなかった不思議。ただのコドモ?
そしてそれから10数年後、やっぱり友人と泊ったヨコハマインターコンチネンタルホテルで
眺めた風景がとてもよく似ていたこと。
それがまるで、その時振りかえるための、未来への種であったかのような、不思議な気持ちになりました。
とにかく、何もかもすべてが鮮やかな旅、あるいはその記憶。

そのあと、プーケット・ランカウイと、翡翠の海とそこを低く横切る天の川が見たくて、
旅を重ねた時期があり、その都度お世話になったのがマレーシア航空。
(プーケットはタイですが、アンダマンシーつながりで)

そんな思い出のあるマレーシア航空の悲劇が報じられる中、私が見た映画はこれ。
『革命の子どもたち』
※閲覧注意※
ドキュメンタリー映画であることと、素材の性質上、かなり凄惨な映像があります。


以下公式サイトより引用。
1968年、学生たちによる革命運動のうねりのなか女性革命家として名を馳せた重信房子とウルリケ・マインホフ。ベトナム戦争で行なわれた虐殺に戦慄した彼女たちは、世界革命による資本主義勢力の打倒を目指し、それぞれ日本赤軍とドイツ赤軍を率いて活動した。本作はふたりの娘である作家兼ジャーナリストの重信メイとベティーナ・ロールが、母親である房子とウルリケの人生をたどり、現代史において、最も悪名高きテロリストと呼ばれた彼女たちの生き様を独自の視点から探ってゆく。母親たちが身を隠すなか、ある時はともに逃走し、誘拐されるなど、メイとベティーナは過酷な幼年期を過ごし、壮絶な人生を生きてきた。再び民主主義の危機が叫ばれるなか、彼女たちは自身の母親たちが目指した革命に向き合う。 彼女たちは何のために戦い、我々は彼女たちから何を学んだのか?


とにかく情報量が多すぎて、うまく整理できていません。
しかしドキュメンタリー映画としては、非常によく整理されたわかりやすい作品です。
なので整理できていないのは、単純に私の知識とキャパシティの問題かと思います。
でもそれは作品として、素晴らしいことだと思います。何より自分で、もっともっと知りたくなったもの。

まとめサイトや、ダイジェスト版で分かった気になることは多いし助かる。
私自身確かに『結局どっちが悪いの? 』と、短絡に口にすることも勿論あるけれど、
凡そそんな簡単な話ばかりではないのです。
なので、手を抜かずにじっくりと腰を据えて向き合わなくてはいけない。
しんどいことではあるけれども。自分なりに納得と理解をするためには、必要なこと。
『自分のかばんは自分で持たなくてはいけないからね』というのは、
たしかこの作品の中のセリフ。

Papa told me―完全版 (1)

榛野 なな恵 / 集英社



素晴らしい作品でも、それをみたことによって『わかった気になっちゃう』より、
のぞましいことだと思います。もちろんこれがドキュメンタリー作品であることも、その故ですが。
私も『ダイアナ』とか『クイーン』とか『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』とか観て、
充分わかったつもりになっておりますが(イギリスばかりなのはたまたまです)
最近だと、『みつばちの大地』もそうかな。

それにしても『クイーン』のコーギーちゃんたちのかわいらしさときたらもう、筆舌に尽くしがたい!! 
映像的に見どころがてんこ盛りの作品です。


関連作品ではないけれど、こちらもずっと、考えること、向き合うことを必要とする、自分の中に残り続ける作品。


そして、1960-70年代の激しさ底知れなさ。40年という歳月を思わずにはいられない。

追記)
映画前の時間つぶしに入った喫茶店で、隣のテーブルの方が
『大韓航空機撃墜事件』の話をずうっとしていたのが印象的。

実は私の二回目の海外旅行は、サンフランシスコへ個人旅行なのですが、
往復3.2万円という、いまにしても怖ろしいほどの安値にホイホイつられて、
当時住んでいた広島-ソウル経由-サンフランシスコという、大韓航空利用だったのです。
そんなに貧乏だったのかい、と、自分に問わずにはおれません。
まあはっきりそうだったんですけども。

失われた20年との対比で、80年代はハッピーでイケイケ、愉しい時代だった、
という文脈はときどき見かけますが、いや全然そんなことない。
だいたい『24時間戦えますか』とか、どんだけブラックなの、という。

※まとめてみたのははじめてですが、02:30からのトーンの変化にびっくり。
まったく記憶にありませんが。なんかあったのかしら、と、思わずにはいられない。
まあ何となくわからなくもないのですが。
でもこの海の色は、まさしく記憶の中のアンダマン・シー。

「地上げで庭に野犬とかけしかけられたり、
立ち退きの為にトラックが家に突っ込んだりしてたよ」

よう知らんけど日記

柴崎友香 / 京阪神Lマガジン


芥川賞受賞おめでとうございます。

by chico_book | 2014-07-20 03:15 | 映画 | Comments(0)

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