痛みも悲しみも疾走中(なう)

少しペースダウンした感あり。でもいいことだとも、思います。
少しいいあぐねているような風情にも取れて、作者の心情に寄り添うように、読むことができます。
もちろん単なる構成の兼ね合いかもしれないのですが。

かくかくしかじかの4巻が出ました。過去記事はこちら(1,2巻3巻)。

かくかくしかじか 4 (愛蔵版コミックス)

東村 アキコ / 集英社



実は私、東村アキコ氏の作品の魅力がいまいちつかめずにいました。
少し要素が多すぎて混乱するというか。
ちぎれて飛んでいきそうなハイテンションなギャグと、そこに重なってくるストーリーの
ミックス具合が最大の魅力であり、この作家さんの抜群の個性なんだとは
分かっていても、時々そこの制御が甘くなるというか、
ちょっと遠心力つきすぎてはじきとんじゃうとでもいうか。
(『ひまわりっ ~健一レジェンド~』はその作品の変化具合が興味深かったけれど、
『主に泣いています』は、キャラクターの持ち味に振り回された感あり)

そんな中で『海月姫』は基本のストーリーが成長もので
ボーイミーツガールでワンアンドオンリーなラブ、が
からんできているのでいまのところ
(それでも安心して、とはいかず)息をのんで見守っているのですが。
もちろん、楽しみな作品が多いのは、なによりありがたいことです。

海月姫(13) (KC KISS)

東村 アキコ / 講談社



東村アキコさんは、
「たぶん『見た目』にすごくこだわりがあるんだろうなあ」
と、思っていました。
ファッショニスタの小学生が主人公だという
『きせかえユカちゃん』(ごめんなさい、未読です)や、
絶世の美女がその美貌ゆえに巻き込まれる様々なトラブルを描いた
『主に泣いています』
そして自分に自信のない、社会性のない地味なオタク女子たちの
成長を(たぶん成功も)描く『海月姫』は、ファッション業界が舞台。
登場するキャラクターの説明や描写にも、『外見』『ファッション』は
大きい要素として扱われています。

でもより正確に言うと、東村アキコさんは
「自意識」
にこだわりがあるのではないか。
もちろんクリエイターさんは多かれ少なかれみなさんそうでしょうが。
東村さんの場合、
そんな自分に対する含羞の振り幅が大きい作家さんなのかもと、本作を読んで思いました。遅いよ。

いまは亡き『ぶ~け』(集英社)というまんが雑誌は、
とにかくクオリティが高くて挑戦的だった。
それは『マーガレット』『りぼん』という大看板雑誌作品の総集編を
担当する位置づけで、だからこそ自由度が高かったということを
のちに知ることになりましたが、そういう事情もあってか、
コメディも、シリアスも、抒情派もSFも歴史ものも、とにかくすべてがあった、夢のような雑誌。

『いたいけな瞳』 吉野朔実

いたいけな瞳 1 (ぶーけコミックスワイド版)

吉野 朔実 / 集英社


いま見てもこたえられない、この美しさ。

『空の色 水の青』 清原なつの

空の色水の青 (ぶーけコミックス)

清原 なつの / 集英社


※名作ぞろいで選べないのですが『他の雑誌からでは生まれなさそうな作品』にしてみました。
(しかしご両名とも、ペンネームからして国文科にはもうたまらないですね)

3巻に続いて繰り返される、東村さんの「ぶ~け愛」。
(しかも4巻では、ようやくプロとして作品を「ぶ~けDX」に発表できるようになった
矢先に、「ぶ~け」休刊→「cookie」という流れが描かれています)
ここでようやく気づきました。
(3巻でも描いてあるのに、遅まきながら)東村さんが『王道ぶ~けっ子』である意味を!!
しかも岩舘真理子さんや、逢坂みえこさんのような、文学少女の好きそうな
ぶ~けにおける王道・正統抒情まんが志向。

しかし、「ぶ~け」の後継誌「cookie」で、彼女に求められるのは
『おしゃれでポップで楽しく若々しい、明るいまんが』
抒情性の高い詩のような作品は否定されてしまいます。早い話がボツ。
『普通に主人公が現在進行形で成長したり頑張ったりする話が読みたいんだけど』
と担当編集さんに言われてしまう。
そして、それに向き合うご本人のジレンマも、作中には描かれます。
しかし、ここでくじけずに、はじけるコメディに活路を見出す(見いだせてしまう)
というのが、やっぱりすごい。

東村さんのこれでもか、と、まるで物量作戦のように繰り出されるちぎれたギャグと
その連打、そしてその奥にほの見える情緒。その不思議な位置関係がようやく分かった気がします。
ほんとうは繊細で儚い世界を淡々とつづりたいのではないか、
でも正面切ってそれをする事に対するはじらいがある。
それは、幼いころからのあこがれに対する遠慮かもしれないし、
あるいは、自らの力量を恃む事へのたじろぎかもしれない。

だからかな、この人の作品からは、どこか弱さ・不安定さを感じるような気がしていた。
カラ元気とまで言うと、言葉が強すぎるかもしれないけれど、つま先立ちのような危うさ。
アニメ化・ドラマ化・100万部突破作品ありの、能年さん主演の映画化も控えている、
売れっ子スーパー人気作家さんにそんなことを感じる
私が変で失礼なのかしら、と思っていたのですが。

『芸術としての絵画』ではなく、『まんが』を選んだこと、
大好きな、そして恩師である『日高先生』を(いまの段階では類推ですが)裏切ってしまったこと、
その選択自体におそらく後悔はない。それでも残り続ける苦さ、痛み続ける傷痕。
そして、そこまでして選んだ『まんが』が、それでも
『本来の自分が目指していた内容とずれている』こと。板挟み。
憧れの職業・まんが家になるという目標を達成して充分成功したはずなのに
どこかに残る『これじゃない感』と、後悔。
それを払拭するべく繰り出すギャグと、逃げきれない痛みの、絶妙なバランス。
この痛さをずっと抱えていること、逃げた自分を忘れないこと、
それを弾き飛ばす陽性の力を持ってしまっていること、
そのギャップから滲み出す独特の含羞、
それが東村アキコという作家さんのコアの部分なのかもしれない。
そして、いまの自分にならそれを容赦なく、正確に描写できる。
東村さんはそう考えてようやく、この『かくかくしかじか』という作品に
取り組まれたのかもしれない。

『私がどんなに悲しいか、いつか小説にして書いてあげる』
作家・江國香織氏が過去の恋人に言ったセリフだったと思います。

いくつもの週末

江國 香織 / 世界文化社


(確かこの本だったと思いますが、未確認です。すみません)

痛みにきちんと向き合い、つぶさに描くのは、大変なことです。
過去のことで、あいまいにしておいた方がよいことは、確実にある。
それでもその正体を東村さんは見たいのだと思う。
見ずにはおれないのだろうと思う。

それこそ、『ぶ~け』掲載の逢坂みえこ『永遠の野原」で、
主人公の姉で小説家である一姫が、自身のファンである作家志望の少女の作品を、
厳しく批判するシーンがありました。あまりに自分の影響を受けている、と。
その厳しさに涙をこぼす少女。たじろぐ主人公の弟。
「これでもう(ファンの少女は)筆を折るかもしれない」という弟に、一姫はこういいます。

『あの人は私と同じ作家よ 書かずにはいられないわ。
自分でもわからない自分の姿を取り出して、眺めずにはいられない』

永遠の野原 (1) (集英社文庫―コミック版)

逢坂 みえこ / 集英社



(手元にないので、言い回し等正確ではないと思います。すみません。間違いの場合は訂正します)
作家というひとたちの特性について、しみじみと考えてしまいました。

行為自体充分に辛いことではありますが、本作を描くことで、
東村さんはたぶんひとつなにかをクリアするのではないかと、勝手に思います。
他人を赦すより自分をゆるす方がむつかしい、そのためのなにか。
まんが読みって、ほんと好き勝手言いますね。
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by chico_book | 2014-07-30 02:45 | まんが | Comments(0)

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