140字が長いといわれるご時世に長文を書く理由
※タイトルからして長いですね(てへ)
わたしのブログがだんだら長ったらしい理由のひとつに、
本来関係なさそうなものが『有機的につながるさまを記録したい』というのがあります。
それも、出来るだけ正確に。おお、なんだかえらそうやね。
ちょっと頭の片隅をかすめるような、それだけのようなささやかな直感や連想を、
忘れず、見逃さずにつなぎとめたいという思いがあるのです。
なによりそういうながれがたのしいと、信じているのだと思います。まったく個人的な確信ですが。
わたしには、人生の中で決定的に本好きになった瞬間と言うのがいくつかあります。
その中のひとつが『小5の時に行った進学塾の夏合宿』。いわゆる『中学受験対策』の塾の企画です。
中学受験なんてものにまったく縁のない土地柄なのに、どうして紛れ込んでしまったのかと言うと、
たぶんふらっとかかってきた営業電話に、お調子者の母親がほいほいのっかったというだけではないかと思います。いまとなってはもう、正確な理由などわからないのですが。
なにしろ、高校にしても学年のほぼ半分は同じ学校に行っていたというくらい、のんきな土地柄でしたから。
もしかして、当時から(家族の中で唯一旅行好きだった)私を持て余していたのかもしれません。
小学3年生の時も4年生の時も、ひとり旅に出されてたもんなあ。
(行先は親戚のところでしたが、私以外の家族は誰もどこにも行ってなかった)
ともあれ、小5・小6の夏休みに、霧島と佐世保に一週間ほどの泊まり込み勉強合宿に参加したのです。
実は私はこの事実そのものをころっと忘れていたのですが、数年前たまたま霧島をドライブする機会がありまして、
なんだかこの風景見覚えがある…?? と、それをきっかけにゆるゆると思い出したのです。
忘れるものなんだなあ。そして思い出すものなんだなあ。
それ以来、夏になると思いだします。30年も忘れてたのにね。
ちなみに私の同学年からは他にふたりが参加。その、私を含めた3人とも特別賢かったわけではなく、
単に好奇心旺盛というかお調子者というかそういうカテゴリー。
ともあれ、田舎の小学校でたんぼの用水路に落ちたり石仏に登ったり、
本を読みながら歩いて帰ったりしていた子供がいきなり『偏差値』という価値観と
バリバリの進学塾の講師に触れるわけです。これはしっかりカルチャーショックでした。
朝ラジオ体操して、一日10時間勉強して、最終日にはキャンプファイヤー。
なんだか時代を感じます。さすがにハチマキはまかなかったと思う。
それにしても中学受験するわけでもないのになんでまたわざわざ。
しかしおかげで、ひとりで飛行機乗ったり
知らない街を地図頼りに歩いたりすることにまったく抵抗のない子供になりましたが。
じつはうまれてはじめて『ユニットバス』を見たのもこのとき。
家族旅行にも行かなかったので、ホテルに泊まったのもはじめてかもしれない。
まったく使い方がわからずおののきましたが、都会っ子さん
(福岡・北九州在住の、生活圏内に『中学受験』があり、ふだんからこの塾に通ってる皆さんです)たちに
優しく教えてもらいました。うれしかったなあ。私の福岡へのあこがれの種はここかもしれない。
そして、そこので都会の子どもたちと一週間みっちりふれあって、何を学んだかと言うと
面白いまんがとかオンナノコトークとか、大きい本屋さんや雑貨やさんのお話でした。
なーんにもかわんない。いまと。
とにかく、まったく勉強と関係のないことをぎっしり吸収して自宅に帰る羽目になるわけでして、
まあ親としてはがっかりにもほどがあったものと思われます。
それにしてはなんで2年も続けていったんだろう。これももう永遠の謎ですが、さておき。
それまで学校のテストしか知らずにほてほて生きていた私ですが、
こういう「受験対策」合宿では当然教科書とは無縁の問題ががんがん出ます。
何しろ一日10時間なので、試験問題をわんさか解きまくるわけですが、そこの国語の問題で、
私はある文章に触れました。そしてものすごい衝撃を受けました。
なにこれ、おもしろい。むちゃくちゃ面白い。
問題文なのでとうぜん『この時作者はどう思いましたか』とか『傍線部分は何を指しますか』
みたいな質問があったのだと思います。
しかし、そんなことはどうでもいい。たぶん私は完全に興奮しきっていたと思います。
早く、早く、早くこの文章の続きが読みたい!!!
その作品がこちら。『どくとるマンボウ航海記』。
おそらく私はこの時まで「現代生きている作家の小説」をちゃんと読んだことがなかったのだと思います。
いわゆる児童向けの小説か、あるいはこどもむけの古典しか知らなかった。
それはそれでもちろん十二分に面白かったし、たのしい世界だった。でもこの作品はまるで違う。
北杜夫氏のエッセイに存在する、コミカルな軽快さの中にある淡々とした深さ、
静まりかえった冷たさに底知れなさが同居した、なんともいえない上品さ。
当時の私は、斎藤茂吉も、なだいなだもトーマス・マンのことも何も知らなかった。
ただ突然、私の人生に降ってわいたこの世界に夢中になりました。
合宿が終わってから、小学生のお小遣いですこしずつ少しずつ新潮文庫をあつめました。
『夜と霧』にたどりついたのも『夜と霧の隅で』から。
もっともこのふたつはさすがに小学生の手には負えず、実際に読んだのはずっと後年になってからですが。
そこから作家ネットワークで、遠藤周作や佐藤愛子も読むようになりました。
遠藤周作に関しては、教会学校からのつながりもあるかもしれませんが。
そのあと、中学生の時には『楡家の人びと』に夢中になりました。
江國さんの『抱擁、あるいはライスに塩を』を読んだときに何となく連想したのもこの作品。
・アマゾンレビュー全件星5つ!!(7件だけど)
奇妙な家族の奇妙な年代記は、おとぎ話のようでもある。
しかしふりかえってみればひとは、それぞれ皆どこか風変わりな一面を持っており、
そこに落とし込まれた不思議のなかのささやかなリアルのひとつひとつが、
小説世界を身近なものにしてくれる。
そこから長々とした時間を経て、庄野潤三や村上春樹にたどりついたりして
現在のあれやこれやに至るわけです。
・タイトルがいまの時期にふさわしい気がするので、あえてこの作品を。
・若くない読者が読んでも存分に面白いです。
むしろ春樹が苦手な人に読んでほしいくらいだけど、文体はまあ春樹なので
そこが苦手だと厳しいかも。
夏が終わるこの季節になると自分の人生の扉をひとつ開けた時のことを、まざまざと思いだすのです。
人生の中に眠っていた金鉱脈を掘り当てたときの、身震いするようなよろこび、
そのあざやかさが胸に迫ってきます。
そして、思い出す記憶のある幸福についても。
by chico_book | 2014-08-31 17:57 | ねこ | Comments(8)
そんな瞬間がいくつもあってしかも覚えているなんで羨ましい。
私は読書量の少なさからして本好きに入らないかもしれないけど、
本屋さんや図書館が大好きです。
最近、村上春樹の ”色彩を持たない…” フィンランド語版を買いました。
30€(高い…)。日本から送ってもらう手間と送料を考え、
勉強もかねて読んでます。
背表紙には、主人公がフィンランドに旅するんだよ、とあり、
書いてないけど ♪ が見えるようです。
表紙絵はこちら。
http://www.tammi.fi/kirjat/-/product/no/9789513179472
勝手に語りますネ。
日本大使館を訪れたら、図書室がありました。
そこに、よしながふみさんのここだけの話、という本があり
借りて読んだのです。
その後、懐かしい漫画や知らない漫画を検索しているうちに
東村アキコさんつながりでおじゃましたわけです。
東村作品レビューでたどり着いたけど、よしながさんと
ちこぼんさんは 好きな漫画の共通点が多そうで、
これも有機的につながったと言えるのではないかしら。
(有機的の意味がわからず辞書で調べたことは内緒)
本好きになった瞬間、そうなんです。私は本当に妙なことをたくさん覚えていて、自分でもなんでこんなのおぼえてんだろ、しつこい性格だわね、なんて思うのですが、いま思い出しても「ぞくぞくっとする」(アン・シャーリー)瞬間でした。そしてそのぞくぞくっと感を、ものすごくリアルに記憶しています。このあたり、説明すればするほどただの変態にしか思えませんが。
春樹に決定的にはまったときのことも記憶しています。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』でした。そして『遠い太鼓』を本屋に通い詰めて5日がかりで立ち読み読破して(迷惑)、6日目にあきらめて購入しました。いまでもこの本は手元にあります。しみだらけだし、持ち歩き用に文庫もあるんだけど、手放せません。
フィンランド版のご紹介ありがとうございます。とてもきれい。手元に置いておきたくなりますね。素晴らしい。ちなみに私の手元には『ダンス・ダンス・ダンス』のイタリア語版があります。お土産でいただいたものです。一生読める気がしませんが嬉しくて飾ってあります(笑)
由来をお伺いできてうれしいです。えへへ、なんだか照れちゃいますね。そうなんです。そういう、本来つながらないようなリンクがふいっとつながるのが楽しくって。
よしながふみさんの本、もしかして『あのひととここだけのおしゃべり』という対談集のことでしょうか? 違ってたらごめんなさい。アマゾンさんで、よしながさんのまんが以外の本だとこれしか出てこなかったので。しかもこれ、手元にあります(笑)
かなりがっつり読みごたえのある本ですよね。ずいぶん前に読んだきりなので再読してみようと思います。ありがとうございます。
よしながさん、大好きだし新刊が出るたびに購入する作家さんなのですが、ちょっと違和感があるというか(小声)。実はまんが向きの資質のひとではない作家さんではないか、とこっそり思っています。勿論ご本人がまんが好きで、描いていることもすごく楽しそう、そしてなにより大人気漫画家さんにこんなこと言うのは恐れ多いわ忍びないわで、申し訳ないのですけども。ちょっとシナリオぽいと言うか。読んでいて、これもせりふで言っちゃうの? ということが時々あります。あくまで時々ですが。
※続きます
このあたりずうっと考えているので、そのうち記事にしたい…というか出来ればまとめたいです。
それにしても大使館にもずいぶんカジュアルな本があるんですね。と、大使館を利用したことがないのでよくわからずに行ってしまいます。もしかして利用者が「持ち込みで置いていった本」とかいうパターンでしょうか。あるいはふつうにクールジャパン展開なのかな?
・・・と、ここまで書いて、別の本だったらごめんなさい。ではでは!
鍵コメ様こんばんは☆
こういうのも楽しいですね、ちょっとワクワクしてしまいます。
『あしたのジョー、の世界展』でも書きましたが、わたしは『まったいら』な土地になじみがありません。いま住んでる横浜も、丘とか坂ばっかりで、馴染んだ風景です。
ので、常磐道とか東北道とかの、あのずっさーっとどこまでもまっすぐ!! という光景にものすごく、異国気分というか、旅情緒を感じます。北関東以北は、なんだか謎めいた場所なのです。それこそアイスランドで、みるもの何もかも珍しくてそわそわするように。そして瀬戸内育ちで、ちっちゃな島やなんやかやがぽつぽつ浮かんでいる、波穏やかで不思議と潮の香りのしない海が、海に対する基本なので、太平洋のあのどこまでも遮るもののない、この向こうはアメリカよ!! という果てしなさが素敵。
該当作を読んだ頃は、まだ関東にいなかったので、いま読んでみると、風景のリアリティがずいぶん違いそうな気がします。たのしみ。