わんこには「HAPPY」ということばが本当によく似合う
YOUTUBEで好きな動画に、帰還した兵士をお出迎えするわんこと言うのがあります。
興奮しきったわんちゃんの、はち切れそうな
ああもうどうしていいかわかんない!!!
っていう感じのよろこびぶりがたまりません。
たくさんありますが、とりあえずこれとか。さりげなく戦争反対、と言ってみる。
(しかしこのわんこの声を聴いてちこがちょっとだけ嫌な感じを、耳先としっぽで表現されます。優雅だ。)
赤毛のアンシリーズの『アンの娘リラ』では、第一次世界大戦が描かれます。
そしてそこに登場するのが、犬のマンディ。
アンとギルバートの息子・ジェムの飼い犬で、『ロビンソン・クルーソー』のフライデーよろしく、
月曜日に来たためにこの名を受けたこの犬は、
ジェムが出征した日から、家に帰ることなく、駅であるじの帰りを待ちつづけます。
クリスマスの日に
『今日くらいは、うちでみんなで過ごしましょうよ』
と、家族が説得に行っても、それを拒み駅に残るマンディ。
他の家族が休暇で戻ってきても、
『本当にうれしいけれど、私が待ってるのはあのひとなんで』
と、ちろりと手のひらをなめてみせるだけで、駅を離れないマンディ。
まあ、忠犬ハチと言えばそうなんだけど、なんともいえずにほろっとします。
同じ時期にブライス家にいるねこは、こねこのときに『ゴールディ』と呼ばれていました。
途方もなくすべすべした、みかん色のこねこ(たぶん日本でいうチャトラのこと)は、
『このうえない器量よしでかつてないほどに上手に喉をならす』のに、
そのあまりの気まぐれぶりに、ついには『ジキル博士とハイド』という名前に改名されるほど。
『博士』の時はすばらしくかわいいけど、ハイドになると途方もなく悪魔に近い存在になります。
『博士』はたいそう器量よしだった。その動作はすべて優美であり、態度には威厳があった。薄黒い輪のある長い尾を足のあたりに畳みこみ、ベランダに座って長いこと虚空をじっと見つめているところは、エジプトのスフィンクスでも守り神としてこれ以上にはいくまいと、ブライス一家には思われた。『アンの娘リラ』 モンゴメリ作/村岡花子訳 新潮文庫より引用。
ハイド的気分が起こってくると(略)ねこは目つきも変わって狂暴になるのだった。この変化はいつも突然に来た。おそろしい唸り声とともに瞑想から荒々しく跳ね起き、引き止めようとしたり撫でようとする手にかみついた。毛皮の色は濃さを増し、目には凶悪な光がうかんだ。実際この世のものならぬ美しさがあった。
忠誠を尽くす犬と気まぐれにゃんこという、テンプレなんだけど、わかっていてもたのしい。
しかしここで、悪魔のようなねこに『この世のものならぬ美しさ』とかいってしまうあたり、
お仲間のにおいを嗅ぎつけますぞ。ヨセフを知っている一族、というやつですね。
と言う訳で、帰還兵お出迎え・にゃんこさんバージョンも探してみました。
じわじわ確かめる感じがいい。すこーしずつ思い出していく感じ。
さて、大ヒット中『Happy』にのせたわんにゃん動画を見つけました。
オーストラリアはゴールドコーストのドッグトレーニングクラブのわんちゃんたちと、猫さん。
わんこさんたちのよろこびぶりがすばらしい。
ちなみに、このにゃんさんは、生後4ヶ月のときに保護施設から引き取られて、
それからずっと、たくさんのわんこさんたちと一緒にいるとのことで、
わんこのことも怖がらず水に入るのも嫌わないのだそうです。よかった。
しかし何でしょうかこの威厳。
にゃんこには『満足』ということばが似合うなあ、とおもいつつも
なんだか圧勝しております。ただ静かに存在するだけで、この威厳。
たまらない。
・・・うん、やっぱたまんない。
by chico_book | 2014-09-01 01:13 | ねこ | Comments(2)
ちこちゃん ほんと優雅ですね。見習いたい。そして見てみたい。
私もアンシリーズ大好きでした。
米文学の市民講座に通った時、教授が
”文学とは赤毛のアンの世界じゃなくて…”と時々言いました。
すごく尊敬している方なのですが、反論します。
赤毛のアンも名作です!!
いつもよろこんでおります。えへへ(照)
そうなんです。何も言わずに箱を組んでつんっとおすまし、
でも耳の先としっぽにだけ、何か漂っているあの感じ。
余韻と言えばいいのか。
わんこさんの、素直な好き好き聞いて聞いてたのしいね!
うれしいたのしい大好き! も、途方もなくかわいいけれど、
なにしろエア鳴きひとつ、サイレントミャウであっさり陥落してしまうので、
これはもう呪いとか何かそういうものではないかと。
ねこさまにお仕えするヨロコビ、とかそういう、説明すればするほどダメな感じに。
Lindaさまも『アン』シリーズお好きなんですね。うれしい。
本読みさんの中でも結構評価が分かれているように思います。
私にとっては血肉になっている、大事な作品です。
今回読み返すことができて楽しかったです。
あと、モンゴメリの文章はちょっと星菫調というか、華美で情緒的にすぎるという評価もあるらしいので、原語で読むと印象が違うのかもしれません。
日本語版は味わいをのこしつつも、抑制のきいた読みやすい文体になっているのだとか。
これは翻訳者の功績が大きいのだそうです。なんてありがたい。