ベリィ・グッドな秋の日の記録
とても気持ちのよい秋の一日。
本当は、行ってみようかと思う展覧会がたくさんあったのですが、
いろいろ考えなおして徒歩圏内でのんびりすることにしました。
おでかけはたのしいんだけど、お出かけという行為そのものに労力を割いてしまいがちなので。
バランス大事。今年の前半は、やや無理目なイベントにも参加したから、反動かも。
そのかわり、こちらで予定していた映画たちを見逃さないようには気をつけようと思います。
そんなわけで、近所の公園のカフェでやることリストや読みたい本をかばんに詰めておでかけ。
ところが、私にとってお散歩日和ということは、誰にとってもそうだということで、公園は
にぎやかに(なにかの)イベント開催中でした。
おまけにそのイベント関連の出待ちのひとがいらっしゃる様子。
メディア(カメラや集音マイクを持った数名の人)や黒服のひともいて何やらそわそわにぎにぎしい雰囲気。
さらに、目的のカフェが出待ちにちょうどよい場所の様子でそわそわ顔の皆さんで満席です。
何ごとだろう?
結局わからなかったけど、皆のたのしげな期待感みたいなのがふわふわ空中に漂っていて、
それはそれでよし。
そんなことをぼおっと思いながら、私はワタシでお散歩にシフトを切り替えました。
公園でぼーっとすると、お散歩わんこさんにもたくさん会えるのが、またシアワセです。
蚊にも数か所刺されてしまい、ちょっとどきどきしておりますが。
そんなわけでのんびりした秋の記録。
毎年律義さに感心する花、彼岸花。
子供のころは、ある日突然田んぼのあぜ道に飛び出してくる(ように思える)のが、
ちょっと不気味でもありました。
銀杏の色が少しずつ褪せてゆくのは嫌いじゃない。
まだ葉には緑が残っているけど、実はすでにこの色あい。何ともいえず愛らしい。
炒ってよし、揚げてよし、茶わん蒸しには入ってないと寂しい派
(そして実は無類の茶わん蒸し好き)
赤い実は、それだけでとても情趣がありますね。
優しい秋の光。周囲は実は、まだ蝉の声もしています。さすがにずいぶん弱々しいけれど。
(その時期の律義さに反して)出てくる場所には脈絡がないようにも見えるけど、
きっと彼らなりの摂理があるのだと思う。地下茎でつながっているということが、
共有した秘密に素知らぬ顔をされているようでわくわくする。
そういえば暗渠というものに一時期大変心魅かれておりました。
たぶんこれの影響かな。簡単な人間は簡単だという、一例。
文庫版を買ってすぐ(当時住んでいた広島の)ビルの屋上で、ちらっとページをめくったら
止まらなくなって一気に読みふけったのを覚えています(確か紀伊国屋書店がはいってた場所かな)
一気に読み上げるなんて、なんともったいないというか贅沢と言うか。
私も作者も若かったのね、なんて。ずいぶん読んでないので、そろそろ再読したい。
こちらは夏の花。芙蓉とノウゼンカズラは夏の終わりの、ちょっとくたびれた風情がとても似合うと思う。
何度も使いこんで水をくぐって、優しく毛羽立つようになったリネンみたいに。
ノウゼンカズラを見ると、いつも岩舘真理子さんのまんがを思い出す。
作品名がちょっと判然としないのですが(検索してみたら『アマリリス』のようですが自信なし)、
そのコマのことは鮮烈に覚えている。
白黒の画面なのに、濃厚で夕陽をさらに濃くしたような花の色が印象に残る不思議。
ちょっとだけ珍しいあかつめくさ。ひさびさに見ました。
セイタカアワダチソウを下から見上げる。ちょっと珍しいアングルかな。
子供のころは、これとすすきは大木のように思えていたっけ。
近所のおにいさんたちの誰かが作った、原っぱの中の道筋をうろうろしていたなあ。
子供の目から見るとその場所は巨大迷路のようで、
怖いような守られているような不思議な気持ちになったものです。
セイタカアワダチソウ=『背高泡立草』は、セキセイインコ『背黄青鸚哥』と並んで、好きな漢字。
実は子供のころにセキセイインコを飼っていました。
たくさん飼ってた親戚のうちで生まれたひなをもらってきて、
毎日差し餌で育てて手乗りにしたこともあり、ものすごくなついてました。
なんと自転車に乗る私の肩に止まって、いっしょにおでかけしたんですよ。
夏休みのラジオ体操にも一緒に行っていた。しかし子供は無茶するなあ。
爆笑してしまった。タロウちゃん(黄色い方)かわいすぎる。
私が最初に飼ったのは、この動画の右側の鳥のような、白色多めのインコさんでした。
つがいでだったので、いろんな色の子が生まれて、すごくにぎやかで楽しかったなあ。
近くの高校の運動部が使っているという噂のタイヤ。今どきの高校でもするのかしらそういうの。
でもタイヤも特に古びてはいないかな。
by chico_book | 2014-09-23 23:14 | 日々 | Comments(0)