痛々しいのと痛いのは違う

西炯子さんの『姉の結婚』完結しました。ううー。過去の感想はこちら(5巻/6巻/7巻


もとからほめているとはいいがたい記事なのですが、何故かアクセスが多い(ありがとうございます)
できたらプラスの評価にしたいと思いつつ。思いつつも。本当に申し訳ない。うーーーーーーん。

と言う訳で畳みます。早。盛大にネタバレ全開でもありますので。





西先生のデビューは1986年。キャリアの長い作家さんです。
来年2月には『娚の一生』の実写映画の公開も控えています。



トヨエツは枯れてないだろう全然。むしろギラギラしている(小声)。
榮倉さんは、あまりお見かけしていないのでよくわかっていません。
見た目で言うと、全然違うよね、と思ってたけど学級委員っぽさはいいのかもしれない。

西さん作品の映画化は2作目
(一作目は『STAY~ああ今年の夏も何もなかったわ』で2006年公開)
『姉の結婚』最終巻の帯には『累計170万部突破』。
業界のことはよくわからないけど、少ない数字ではないと思います。
いわば当代の人気作家。
にもかかわらず、なんでこんなに考え込んでしまわなあかんのか。辛い。

『姉の結婚』は、ひとことでいうと
『中学時代ださかった同級生が、ハイスペックイケメン(大学の先生かつ精神科医かつ著作もある文化人)になって、
20年越しのストーカー愛を爆発させて求愛してきた。
あたしもうそういうのめんどくさいのに……(どうしよ)(あれよあれよ)』

と言うお話でした。うわ。少女まんがだわーこれ。
いや、少女まんがでいいんです。そこはそれでいいの。ちょっとワオ、とは思いますが。

ヒロイン・ヨリは、自分を愛すること、大切にすることが出来ない。
だから求められればそれに応じてしまう。
それが仕事でも、恋愛でも。そして優秀なので、割合何でもさくさくと対応できてしまう。
それでは「自分の欲しいもの」は何? というのが、この作品の大きいテーマだったと思ってたんだけどなあ。

7巻で、妻の(浮気相手との子供の)妊娠を機に、真木の離婚が成立。
薔薇の花束を持って、真木はヨリを迎えに来ます。
ひとつひとつ、落としたピースを拾い上げてもういちどむきあうふたり。
そして、ようやくふたりで生きてゆく決意を固めます。
おお、タイトルどおり姉の「結婚」だ。さすが最終巻。

そのあと、ある障害がふたりの間に発生します。それに対応できない(しない)ヨリ。
ささいな行き違いをもとに、ヨリは真木の前から逃げ出しました。
行方をくらます女。追う男。古風ですねえ。
ひっそりと身を隠すようにして生活するヨリ。
砂浜を散歩する彼女の姿に重なる、彼女のモノローグ。

「だいじょうぶ 私にはひとりで生きてゆける力がある 
何十年も わたしはひとりだったんだもの」

覚悟を決めて逃げ切った、そう思った彼女の前にあらわれる真木。さすが熟練ストーカー。
あなたの苦しみを、すべて受け止める。
ふたりの苦しみをふたりで分かち合うのが結婚だ。
まずはおつきあいからはじめましょう、と、ヨリの手を取る真木。
涙を流して「はい」とうなずくヨリ。

うううーん!! 大団円のハッピーエンディングなんですよねこれ。
そのはずなのになんでかまるっと、と言うより、全く同意できないせつなさよ。

真木はストーカーで変態です。それは作中でも何度も強調されています。
そもそも、中学時代の片思い
(それも、遠足の時に桜貝を拾ってくれた(いじめられっこの自分に優しくしてくれた系)のエピ)の
相手を何十年も思い続けている。
それだけならほんのりエピになるかもなところですが、彼は実際に再会したのち、
ストーキングから弱みをつかみ、いきなり性的な関係を迫るという行動派。
(そんな言葉でくくってよいのかどうかも不明)
そんな、どえらいつかみでこの作品ははじまっています(どこのハーレクインよそれ)。
そもそも真木は既婚者なのに。しかも、その結婚ですら妻がヨリとそっくりだったことがきっかけだし。

真木は、ヨリに愛人契約を持ち掛け、密会の為の部屋を借り
(ヨリの話などまったく聞かずに)がんがん間合いを詰めてゆきます。
ヨリのこじらせばかりが強調されるこの作品ですが、
こんなにでかい闇と狂気を持つ人間の傷をともに分かち合う、なんて、怖ろしすぎます。

いちどはヨリも、

「結婚もそんなにいいことばかりじゃない 
でも 愛することをためらわなくていい それ以上のことは わたしにはない」

と、こころを決めたのに、ある誤解を目の当たりにして、
真木を信じきることが出来ずに逃げ出すヨリ。
愛することをためらわないのは、ヨロコビではなく覚悟でもある。

「結婚して あのひとがじぶんだけのものになるのがこわかった
うしなうことの怖さに わたしは負けた」

タイトルが『姉の結婚』で、アラフォーの不器用系ラブストーリー(帯より)で

『求めていたのは結婚じゃなかった 愛して愛されたかっただけなのよ』

ならば、ここからですよ!! ここから話がはじまるんじゃないの!? 
愛を信じられない大人が、求められることと愛されることと、自分が愛することの違いを
しみじみと実感しながら生活と言ううすのろ(元春)とやりくりしてゆくのが、見たかった。
深まってゆく、進化してゆく結婚というものを、ああ見たかった。

西さんは、『惚れたはれた』ではじまっていない結婚生活そのものは描くんですよね。
わりあい肯定感を持って。ただその場合、ひと世代上のひとたちのことが多いので、
ややオールドファッションな意味合いを込めているのかもしれないけれど。

『愛して愛されること』と『結婚』のはざまにあるもの、そこを描いてほしかったのです。
結婚にたどりついた先のふたり。生活を重ねてゆくふたり。

たぶん真木のことを(自分のことも)信じられない、ヨリは変わらない。変わらないまま生きてゆく。
真木のヨリへの想いも、綺麗なもののように見えるけれど、それはほとんど実体のない執着に近い。
この辺は少女漫画のオヤクソクとしてスルーするべきなのかもしれないけれど、
最後がこの展開なので、振りかえってついうっかりそこに立ち返ってしまう。

求められてささげられて、それだけでヨリは結婚に充たされるのか。
自分の立ち位置を変えずに、与えられることだけを望むのは強欲にも思えてしまう。
真木の、命がけの愛を、ささげもののように受け取り、消費するだけなのか。
でもそれでは、真木の苦しみ、痛みにヨリはどう対応するのか。そこが最後まで見えなかった。

それにしても、そんなに全肯定されたいものなのかな。
バレエの王子様みたいに、ひざまずいて愛を誓ってほしいの? 
わたしは、そういうのがどうにも怖い。根拠のない全肯定は、根拠なくひっくり返るものです。
愛情に根拠とか言うのが野暮なのか。
はっこれがこじれてるのか。あっけらかんと、全力で盲信しちゃえばいいのか。

作中で
『結婚すると決めてしまえば あとはまわりが決めてくれる』
と言うセリフがありました。
結婚すると決めて、形を整えてしまえば進むことと、
進まないこと。
結婚 なのか 愛 なのか そこのピンが、甘かったなあ。

『この先 あんなに ひとを愛することはないだろう』

と、真木の前から姿を消してつぶやくヨリに、どうしても共感できない。
いまその時の、真木の喪失を、どうしてわからずにいるのか、思ってしまう。

※つづきます。こちらへ
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by chico_book | 2014-11-17 01:01 | まんが | Comments(0)

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