港と光としずかなお別れ
10年の期限付き借地権の満了ということで、
たいへんもったいないことながら本日、1/25で閉館です。
椅子も会場もまだまだきれいなままなので、もったいなくてしょうがない。
クロージングイベント上映は、1/24公開ほやほやの『ANNIE』。
トゥモロー、トゥモロー、という歌声が響き渡り、
寄せ書きパネルにありがとうありがとうの声が集まっていました。
ベイマックスがたくさん描かれていて現役感満載。更にもったいなさを痛感。
みなとみらいとしては、やや横浜駅よりのエリアで、
ほかの映画館と違ってハコである『GENT YOKOHAMA』が
比較的こぢんまりした建物のせいか、落ちついていて好きでした。
一階がゲーセンだったので、映画の時間調整はみなとみらい方面を
ぷらぷらお散歩したりするのもたのしかった。お金も使わなくて済むし。
ロビーのソファーもとても感じがよかったのです。
このいかにも「埋め立て・再開発途上」な空き地が、夢の途中っぽくて好き。
でも前世紀っぽい感性かもしれない。
有明も少し前はこんな感じの場所がありましたね。いつも工事している風景。
海と空に近い空き地。はなやかさと荒涼とした風景がすぐそばにある。
新宿高島屋とハンズみたいな。いや、ハンズは別に荒涼とはしていませんが。
観終わった後、横浜駅へ川を渡ってとことこ内容を反芻しながらの帰り道が好きでした。
対岸にはベイクオーター。
この時は明るいけれど、映画の帰りに夜景の華やかさを
ぼおっと眺めながら歩くのが好きだった「はまみらいウォーク」。
グッドデザイン賞受賞だそうです。
※この写真は、横浜駅からみなとみらい方面方向にむけて、
なので、帰り道ではありません。
(もう今日で終了ですが)劇場クロージング企画として、
過去10年間に公開された映画から16作品が500円均一特別上映されております。
リンクはこちら。
私は悩んだ挙句、劇場二度目の『ゼロ・グラヴィティ』を鑑賞してきました。
これを500円で見られるチャンスを逃すわけにはいかない。
先日、やはりこちらで『インターステラー』を観たのですが、いやぁすごかった。
いい意味で、消化できていなくてまだちょっと体内のどこかにうずまいているかんじ。
これはこれで、何度かゆっくり見ないと理解できてない部分も大きいと思います。
『インターステラー』もそうですが、『ゼロ・グラヴィティ』は
劇場スクリーンで観ることに、やはり意味がある作品だと思います。
そして見ている途中で思い出した。
私こういう追いつめられる系の映画得意ではないんだった…!
最初に見たときもそう思ったんだっけ!!
見ている途中で、やっぱり人間は宇宙になんか出るべきではなかったんだよね、
神の領域ってこういうことで、踏み込むべきではなかったってことだよね、と、
すっかり弱気のしおしおになり、犬の声に胸をつかまれる。
変わらない日常がそこにある。
ということは、いまこうしてねこのぬくもりを感じている私、
その変わらない日常の裏側に絶望的な瞬間を迎えている人もいると
いうことだろうか、と考える。
どうすればゆるされるの、と、どうすればもういいよ、と終わりにすることが可能なの、
と、思いながら鑑賞。すごいなあ。とにかく圧倒的な映像と心理。
ものすごいピンをしぼって、最低限の情報だけでそれ以上のことを語っていない。
なのに、充分すぎるほど伝わってくる。
ラストシーンがきりっとみじかめなのと、そこにどん! と
重なるタイトルのかっこよさ。とても90分ほどの作品とは思えない充実。
ジョージ・クルーニーかっこいいですねえ。パーフェクト。
ERのダグ・ロス医師時代と比べると、ややあぶらっ気の抜けた感じかな。
セクシー系俳優さんは、年をとってからがまたよし、という展開がありますが
(代表はショーン・コネリー)まさにそれ。
しかし『こってこての伊達男』もきらいではないです。
『オー・ブラザー!』なんと2000年の作品だったとは!
しぶい看板のローソン。周囲の建物はマリノスタウンだそうです。知らなかった。
そしてみなとみらいの路上にはこんなデザインが。知らなかったその2。
カメラを持ち歩くと、こういう発見が記憶に残り(やすい)のでたのしい。
ふっくふく。たぶんハクセキレイ。すごくすごくかわいい。
ほんとはメジロも見かけたのですが、素早くて撮影できず。
この日は明るい曇りだけど、なんとなく光の中の白さが増したように思える。
光が明るくなって、小鳥の姿が目立つようになると、
かすかなかすかなものですが、春の気配を感じます。
空気はぴんっと冷たいままだけれど。
by chico_book | 2015-01-25 12:37 | 映画 | Comments(4)
表現としてはスーパーナチュラルだけど、明快な理屈がきちんと通っているので(次元のアレコレの視覚化ですよねアレ)、方向性としてはむしろエウレカに近いのではないかしら。あっちはひとりに一冊『記されるべき物語』があるよっていうノリだったと記憶しています(記憶に自信ないけど)『こういう状況を表現するためにこういう装置にしました』というのが明確という意味合いで。
春樹とピングドラムの図書館の親和性は、『暗渠』『地下』『迷宮』(あるいは井戸)という舞台装置によるところが大きくて、明確な状況説明や論理の象徴としてではなく、むしろざっくりとしたイメージだと思うので、そういう違いはあるかな、と、いまは思っています。ただ、三作とも解説たくさんたーくさんありそうだから、少しさぐってみるとおもしろそうですね。ありがと。しかしこれ、劇場で観てよかったです。おすすめ感謝。
ちなみにこちらのページにすごくまとまっているらしいのですが(未読)ガッツリ英語です。やぶさんは大丈夫そうですけども。
http://i.imgur.com/hfoX7hf.jpg
むしろラストについてよくわからない、というか、この解釈であっているのかどうか、とか、そのうえでそれってアリなの? とかもろもろ気になっております。そのあたり今度お話ししましょう。よろしくです。
それにしても『ゼロ・グラヴィティ』開始15分で大後悔しましたよ。こ、こわすぎる。そういう映画だって、わかってたのにね。どうやらこの記憶力の弱さで、人生を乗り切っている模様>マイセルフ。
それから個人的に『ハルキスト』ならぬ『春樹読み』と自らを称しておりましたが、どうやら『村上主義者』に改称することになるようです。よろしくね。
私、「明快な理屈が通っている」かどうか、よくわかってはいません(笑)
私は、あの表現で理論上の辻褄があってるかまでは、
理解できていないという意味です。
あくまで表現の目指しているものとしては
『理論を視覚化』だよね、と言うかんじ。
あと、終了後に
『ガルガンチュアって中二っぽいよね』
『そう? おれは好きだよ結構』
と、いうカップルちゃんの会話がきけて面白かった。
そして春樹作品とは似て非なる趣とのことで、スッキリしました>クライマックス
まあ本当に理屈通りなのかどうかはたぶんいろんなところで静かに物議をかもしてるんじゃないかなと思うんですが、俺はもうあれで十分と思っております。多少ズレてたって別にね、というぐらいの気分で。リンク先の図は、ちょっと心に余裕が出来てから見に行こうかなw