夏と秋のあいだのような、いまと昔のはざまのような
九州に行ったときは、いつも予定みっしりで押せ押せ。
なかなかゆっくりと散歩などすることもないのですが、
今回ふらっと空いた小一時間ほどを、ちょっと強引に割り当ててみました。
小さい城下町で、とてもしずかな場所。
街の大きさはまるで違いますが、
実は私の印象では横浜とどこか似ています。
NHKニュースのさいごに
『それでは横浜の映像です』
と流される、はなやかなみなとみらいとはまるで違う、
たとえば旧東海道あるいは相州道・大山街道など、
ひっそりした街道沿いの、むかしからあるお寺の脇の
細い坂道や古積の石垣の雰囲気。
華やかな横浜らしい観光地・山手の少し脇に入った場所の、
すこし忘れられたようなひっそり感(過去記事)。
単純に、両方とも海が近くて坂の多い街だからかな、
などとも思うのですが。
実は石垣が好き。
こどものころ登下校時、毎日毎日石垣の隙間を
食い入るように見ていたのがその起源だと思うのです。
今回確信。
苔のかんじとか風合いとか。
お寺の石垣。手積み感がなんとも言えず好き。
この道を、ランドセルを背負ったまま本を読みながら
歩いて帰っていました。あぶない。歩きスマホダメ。
いまも残る武家屋敷の土塀と石垣。
苔の生え具合とかどこに通じてるのかわからない
(と、当時思っていた)石のすきまとか。
それはそれはわくわくしながらのぞいたものです。
異界に通じる空間として。
いま見ると、静かな美しさにみちているように思う。
「鶏頭や二度の野分に恙なし」正岡子規。
もう野分はなくていいよね、と、海沿いの道に
砂がかぶっているのを見て思いましたが、現地在住の皆さんは
『まあこれから9月だからねえ(そんなに甘くはないんじゃない?)』
と、ゆったりとしたお答え。
現場のリアルというべきか、直撃を避けることができた余裕というべきか。
露草は、夏休みラジオ体操と結びついたイメージ。
思い出の中の露草はもっと濃い紺色の花が
たくさん咲いていた印象ですが、
すっかり涼しくなったこの季節には、
かろうじて咲いていた
褪せたような夏枯れの色あいがまたよし。
こんな小路を毎日毎日歩いていたのね。
これは野分の影響かもしれない。
すっかり秋のいろあい。
ずっとお茶好き・コーヒー苦手だったのですが、
去年から少しずつ、ペーパードリップでコーヒーを飲みはじめました。
そんな私にとって、ことしはアイスコーヒー元年。
たまたま通りがかった駅ビルの『閉店半額セール』で、
『アイス用珈琲豆』を購入しました。ファーストトライ。
しかし、はじめて飲んだとき、その苦みにびっくり。
これは無理かも、失敗したかなと思いましたが、キンキンに冷やしてみると
こんどはそのすっきり収まりぐあいに二度びっくり、
ミルクを入れてみて相性の良さに三度びっくり。
そんな発見のあった今年の夏。
しかしそんな珈琲豆が残ったまま夏が
一気に過ぎ去っていくようで、やや焦り気味。
足元に星のような花が。
松葉牡丹、あら懐かしい、最近あまり見かけないよね、
と思ってカメラを向けましたが、葉の形が松葉ではないですね。
うむむ。ポーチュラカとも少し違うようですが。
夏の花のはずですが、すっかり秋の色合いに見えます。
(名前はっきりしないけど)
風の音にぞ驚かれぬる。
秋の気配は、もうすでに目にも見える程ですが、
竹の葉擦れの音はひときわ風を印象づけます。
by chico_book | 2015-08-31 04:50 | 日々 | Comments(0)