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春と4月を見送る


春というものを、私はざっくりとこんなふうにとらえています。

たとえばタンポポやクロッカスのような、
はじめに光そのもののような黄色い花が星のように咲く。

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それからそれらすべてを寿いで、
高らかに歌い上げる(桜のような)木の花が開いて、

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光の力が強くなると、生命すべてが内側から発光するような、
力強く透明で美しい、みどりの季節になる。
当たり前のように存在する発光する生命。
そのうつくしさを「新緑」と言う言葉ひとつで
言い尽くすのはこわいような傲慢なような。

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そしていまはジャスミン、モッコウバラ、クレマチス、
たくさんの花が咲く季節。
百花繚乱なのにどこかすがすがしい。

そんな季節、病院と病院と病院の予約をこなした土曜日。
ふと思い立って電車に乗りました。
葉山散歩の心地よさが忘れられず、ほとんど思いつきで。

横須賀線は、横浜駅から(いつもとは明らかに違う)混雑具合。
さすが鎌倉、一大観光地に連休というくみあわせ。
みんなさりげなく大荷物。みんななんとなく気合いと力が入っている。
私もそうなのかしら、と思いながら車窓をながめる。

果たして鎌倉駅は大混雑。階段も使用制限がかかるほど。
今回はなんとなく葉山ではなく、鎌倉で電車を降りる。
江ノ電乗車は20分待ちとのアナウンスが響きわたる。ひゃあ大変。
激混みの小町通り、鶴岡八幡宮方面を避けて、若宮大路を海へ向かう。

葉山のひなびた海岸は本当に気持ちがよかったけれど、
果たして鎌倉はどうなのかしら、と言う
偵察気分のお散歩モード。

学生の時に『中世日本文学講義』で『平家物語』に、
夢中になった時期があります。
15時間オーバーの『キングオブ夜行バス』・はかた号で
都内の大学に通っていた高校時代の友人の家に
泊まりに来た春休み。

『どこか行きたいところある? 』
と問われて
『鎌倉! 』
と言う、いまにして思うとやや微妙な回答。
(上野近くの彼女の住まいからは遠いし、
しかも行きたい場所が観光地でもなんでもない
義経の腰越状にちなんだ『腰越』とか
文覚上人が開祖である『補陀落寺』とかなのでした)
む、無理じゃないけどさ。

なかなかつかないなあ鎌倉、と思いながら
長々と電車に揺られていたこと、
最初は(何となく)標準語を意識しておしゃべりしていたのに、
どんどん九州弁ネイティブ全開になっていったこと、
そしてとにかくおしゃべりがたのしくて長い時間も
気にならなかったことを覚えています。

彼女とはいまは連絡は途絶えてしまって、
そのとき話した内容も覚えていないけれど、
ただたのしかった思いだけが、私のなかにはあります。
そしてそれだけで充分なのかな、と思う。
そんなありがたくうれしいことはないのかな、と思う。

まぶしい海へ向かって、ひろびろとした歩道を
そんなことを思いながらゆっくりと歩く。
こういうふうに思考がゆるゆると拡散するのが、
それをなすがままに見送るのが、散歩の何よりのたのしみ。
なんというか、思考のストレッチ、のような。
筋肉に例えると、ふだん使っていない部分にまで
血液が巡る、ような、そんなかんじ。

明るい海、明るい空、たくさんの人が思い思いに楽しんでいる。
材木座海岸と由比ガ浜。
静御前の嬰児が捨てられた場所だよね、とか、
『こころ』の掛茶屋ってこのへんだっけ、
などということをほてほて思いながら歩く。黙々と歩く。
たのしい。

葉山海岸よりは人も多いけれど、広いので気にならない。
波も大きいし、音も大きいし、ひっきりなしに寄せてくる。
(これはお天気に寄るのかもしれない。風の強い日でした)
カラフルなウインドサーフィン(でいいのかな)の帆が
行ったり来たりしている。

ビーチにごみがほとんどないことに、真面目に感服する。
FM横浜でしょっちゅう『ビーチクリーン』を呼び掛けているし、
その効果が出ているということなのね。素晴らしい。

(続きます)



ねこ成分多め。

by chico_book | 2016-05-01 05:18 | 日々 | Comments(0)

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