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再び会うまでの遠い約束(叶わなくてもいいのかも)

前回の続きです

海岸の突き当りからもうすこし歩きたかったので、134号線へ。
適当なところから引き返してもいいし、江ノ電にアクセスしてもいいし。

ものすごくたくさんのトビが、ニンゲンのごはんを狙って上空を旋回。
ブラックカイト、本日も絶好調。



明治生まれの祖母と一緒に唄った思い出のある歌。
タイワンリスもそうだけれど、こんなにものどかに唄われていた
トンビがすっかり害獣扱いでさみしい(実際に被害は多いので難しいところ)

私はてくてく歩く、ひたすら歩く。
まわりを行きかう観光客のひとが、
実は日本語ネイティブでないことに気づいたりもする。

私もオランダやイタリアや、
あるいはアイスランドで海岸沿いをお散歩したことを思い出す。
台湾では淡水でしばらくぼおっとしましたっけ。
たのしかったなあ。

稲村ケ崎を超えると、いきなり江の島がみえる。
おお、なつかしい江の島。

自動二輪の免許取得のために自動車学校に通っていた時代、
あまりにもうまくいかなくてしょぼくれてしまったことがある。

暑い暑い7月、オクラとトウモロコシ畑のそばの
自動車学校の帰り道、電車のなかのサーフボードを抱えた
たのしげな人につられて江の島に行きました。
キラッキラの海のまぶしさに、更にへこんで足元だけを見て、
黙々と参道をぬけ、いたるところにいたねこに励まされながら、
ずんずんのぼってどんどこ降りて。
場違いなヘルメットを抱えたまま鬱屈を抱えたまま。

東京するめクラブ 地球のはぐれ方 (文春文庫)

村上 春樹 / 文藝春秋



鬱屈すると散歩するのかな、私。
そういえば『こころ』の先生もやたらに歩いていたような。

稲村ケ崎海浜公園でひと休み。
砂浜が続いていたのに、いきなり現れる岩場が大変興味深い。
そんなに広い場所ではないけれど、ひとはそれなりにいます。
混雑しているわけでもなく、さみしいほどでもなく。
寝ころんだり写真をとったり犬と遊んだり休憩したり。
私もここで休憩。
持参した焼きカレーパンを、鳶に見つからないように気にしながら食べる。

ついでに道すがら購入した新刊をさっそく読む。

大奥 13 (ジェッツコミックス)

よしながふみ / 白泉社



いよいよ幕末だー!! 
いままでの物語が練り上げられて収束してゆくさまがなんとも心地いいです。

そのあとまたしばらく砂浜を歩く。歩きたい気分でした。
もうこのままいけるところまで行こう、と、こころを決める。
綺麗な貝がらをすこしだけ拾う。
歩いているうちに、不思議と明るいお葬式のような気持になる。

父は釣りが好きでした。
田舎のおじさんのささやかな趣味で、
船を出したりしかけに凝ったりという派手なものではなく、
休日の朝にさくっと早起きして防波堤で釣り糸を垂らすだけ。
あまり釣れない日の方が多かったんじゃないかな。
でもそんなことはどうでもなく、ただぼーっとする
時間をたのしんでいたように思う。
こどものころ、たまに連れてゆかれると、
ただ二時間も防波堤でぼぉっとするなんて
絶対無理無理、拷問ですか、と言う気持ちでしたが
いまになるとよくわかります。これは贅沢だわ。

こういう、人生の小さな謎に解がさらっと見つかるのは
いいことだなあと思う。
そして自分はもう、答えあわせのターンに
入っているのだなあとも、思う。
もちろんそれだけではなく、
日々積み重なる新しい謎や疑問も、
数えきれずあるのだけれど。
みつかることも多い、すごく多い。

きっと人生のなかでも、いい時期なんだなあと思う。
もっともワタクシはいつでもそう思っているような(のんきな)
ところがあるのであまりあてにならないのですが。

ターミナルにそれなりのリアリティもあるけれど、
まだそれほどの切実ではなく、
見える範囲できる範囲がクリアに把握できるように
すこしずつ変化してきていて、なおかつそれが実感できている。

風を切るフリスビー、全力でそれを追う犬、
私は何を追いかけるのか、と思う。思いながら砂を踏みしめる。
さくさく歩く。時折自分の来た方向をふりかえってみる。

鎌倉駅はすごく遠くに見える。
ああもうこんなに来たんだ、と思う。
葉山を見て、あの場所にも行ったよね、と思う。
たのしかった、と反芻する。
そして江ノ島を目指してずんずん歩く。

わたしはいま、大小さまざまな鬱屈を確かに抱えていて
それはそこにあるままなのだけれど。
なんだか何かを象徴するような散歩をしたいちにちでした。
もしかして、なにかを葬ったのかもしれない。
空、海、風、光、にぎわうひとたちの声が切れ切れに届く。
明るいお弔い。わるくない。

私は自身に関しては葬送のイベントは基本的に不要だと
考えているのですが
(きわめてパーソナルな領域に対しての話なので、
そうでないひとに対してはきちんと、
できる範囲で対応するつもりです)
ときどき
「そういうイベントがないと、
残された人間のこころの区切りがつかないんだよ」
という意見を耳にします。
たしかにコミュニティのつながりが強いひとだと、
そういうこともあるかしらね、と思ったりしていました。

以前見送ったモルモットは、お見送りの場所に行くのに
何故か迷子になりました。
はじめての場所ではないのに、なぜか道に迷ってしまった。
あれはきっと、名残を惜しんでくれていたのだと今でも思う。

たぶん私は知らずに自分の中のなにかを葬っていた。
そしてそれが自然で明るいことなのだと思える一日でした。
意図しないまま自分にそういうイベントを用意していたのかもしれない。
そのために9キロ近く延々と歩いたのかもしれない。

望みはまるで聞き届けられなかったが
願いはすべて叶えられていた

とはこういうことなのかもしれない。

うっかりすっかり日焼けしてしまったけれど
(いい年して毎年連休の時にはうっかりしている気が)
きっとそこまで含めて、ある種の必要な手続きだったのかもしれない。

鎌倉高校の前あたりの海岸で、誰かが砂浜に書いた
『桜木花道』
という文字をながめる。
(『SLAM DUNK』読んでおりません)
ちびっこのつくった砂のお山が少しずつ崩れてゆくことと、
無数のオトナや子供やわんこのあしあとを見て、
私はひとりでさくさくと歩く。
腰越で、砂浜から道路にあがれば、もうすぐに江ノ島。

むかし大勢出来た思い出のある江ノ島の東浜で腰を下ろす。
若いカップルちゃんのたのしげな様子。
走り回るわんこ、肩車のお父さん、自撮りに余念のない女子たち。
オウケイ、オウケイ、大丈夫。じぶんに対してそう思う。
無理せず歩いてここまで来たね。

たっぷり海を満喫して、帰りははじめて乗る湘南モノレールで大船へ。
見慣れない乗り物で、空を飛んで帰りってみたかった。
いとおしくも愛情深い猫のいる場所へ。



狙ったわけではないけれど、こちらを引用するくらいには
ミーハーです。
(ありがたくお借りします)

by chico_book | 2016-05-01 05:33 | 日々 | Comments(0)

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