久しぶりに実母と会いました。
昭和9年生まれの彼女は、さすがにいろいろ
おぼつかないことも増えましたが基本的には元気。
本人も元気と自己認識。
(持病のあるワタクシよりもずっとよい検査結果。
健康診断の結果が自慢なのですが、確かに自慢するだけのことはある)
しかし少し前(成人式頃)にインフルB型をやったそうで
(ふだん会えない)わたしはやはり
たいそう心配したのですが、吐き気や腹痛などもなく
『ただひたすら食欲なくてだるかったので
おこたつでみかんと甘酒食べてうとうとしていた。
全然しんどくなかった』
とのこと。とにかく、軽くてよかった。
そんな彼女の
『久しぶりに外ごはんでも行く? 』
という発言で、車でいそいそお出かけすることになりました。
基本的には
『なんでも家が気楽でいい、
売ってるものは新鮮でおいしい
自分でつくれば安い』
派の彼女がそのようなことを言いだすのはとても珍しい。
ふだんいないニンゲンが一人増えて、
やはりくたびれた部分もあるのかしら、と、
そんなふうにも思います。
そう決めてからも車で移動中も、
「○○が冷蔵庫にあるからそれ食べた方がいいかも」
「今日あたり△△でお魚が特売だからあーしてこーして食べようか」
「おみやげで頂いた干物どっさりあるけど」
と、彼女のこころは千々に乱れるのですが
「うんうんじゃあ夜ご飯にしようね、わたしつくろうか」
「最近はお天気で漁が不安定なんだってね。
いま自分の旬の魚ってどんな? 」
「××さんのおみやげなの? よかったね、どこに行ったの?」
「そうだねえお父さん大好きだったよね」
などと話の矛先を散らしつつ向かったのは
空港に向かう国道沿い、ロードサイドのうどん屋さん。オウ。
(あとで『高級なところじゃなかったなあ』とのコメントが。
この外食に慣れてない感が興味深い)
母自身は
「あんたたちなんでも好きなとこに行きなさい」
と言ってはくれるものの
ファミレスで食べられるものあるかなあ、
イタリアンとかネパールカレーのお店とか絶対無理、
あとカフェとか(昔ながらの)洋食屋さんも厳しい、
回転寿司が調整しやすくて妥当だけど
(私も九州のお魚食べたい)
すぐ原価計算をはじめるので、そしてダメ出しをするので避けたい
となんやかや迷いどころで、本人の口から
『あそこにうどん屋さんとかあるわ』
といったのをすかさず反映。
ロードサイドのうどん屋さん、
平日のお昼時なので実は結構混んでいます。
すみっこにおでん、
レジ横に謎の水槽があって(緑色で詳細不明)
お座敷とテーブルがあるような。
母は小盛のかけうどんにトッピングでかき揚げ、
兄は肉うどんにトッピングのかき揚げ、
わたしはわかめそばにトッピングの山菜とかき揚げ
(ぜんまいなんて家で煮てあるじゃないの!
と文句を言われながらの山菜プラス(笑))
※このクレームっぽい発言に悪気がないことに
気づくまでずいぶん時間がかかりました。
を、それぞれオーダー。
にぎやかなテレビ番組は
お相撲のことをずうっと話題にしている。
なんだか何か月も話題になっているように思います>お相撲。
内容はちょっとずつ変わっているのだろうけど
(よくわかっていない)
九州場所(11月)のころから話題が続いていると思えば
実際に3ヶ月は優に続いているのですが
そういえば九州場所でおどろいたのは、
お相撲さんの宿舎って結構試合会場(と言っていいのやら)から
遠いんですよね。片道1時間近くかかりそうな距離がちらほら。
いわゆるタニマチとか贔屓筋の付き合いとか
いろいろ理由は明確にあるのでしょうが
毎日通うのだとしたら結構大変そうだわ、なんて思いました。
そして私の結婚記念日は九州場所の千秋楽の日です。
もう20世紀の話ですが。
福岡で簡単な集まりを開いたあと、
天神から博多駅に向かうタクシーが
みっしり詰まって全然動かなかったこと
高揚感と疲労感でぼんやり眺めた
(中洲の)ネオンがとてもきれいだったことを思い出します。
さて、驚くほどの速さで出てきたおうどんは
「もっとやわらかいのがいい」
「だしがしょっぱい」
「かき揚げの海老が少ない、ちいさい」
と、母の口にはあまりあわなかった様子。
「ワタシいらないからあんたたち食べなさい」
ということで(比較的柔らかい)わたしのおそばとチェンジ。
トッピングの山菜は
「これで80円て!!」
と、あまり好評ではありませんでしたが
もぐもぐ食べていたので良し。
(ごく普通の水煮山菜ですが、まあ80円だし、妥当だと私は思う)
そのあとサイドメニューに大変九州らしい
「かしわおむすび」(2個)
をつけて、やはり
「具が少ない」
「これで160円!)」
「うちでもっといい鳥肉とごぼうを使えば」
とコメントしてました。
まあ元気なのはよいことです。ウム。
あまり声量を抑えないので、
お店のひとには申し訳ないことですが。
そんなこんなで早々と食べ終えた母が
目をキラキラさせて窓の外の駐車場を
激しく気にしています。
知ってるひとでもいるのかな、
と思っていましたら
「県外ナンバー車んじょうじゃ」(県外ナンバー車ばっかりいる)
「そうね、国道沿いだし、高速出口も近いんだっけ」
(街を離れて長いのでよくわかっていない)
「背広のひとがどんどん降りちくる!」
「営業のひととかお昼時だし、
寒いからおうどんとかちょうどよさそうだね」
「・・・・・・」
「どしたの? なにか気になることがあった?? 」
「みんなかっこいいねえ!! あんたそう思わん? 」
(がくっ)
「あんたと一緒くらいのひとかね? 」
「ああ、そうね、多いね、そういう世代だね。
いとこの○○君も車で一日200キロ走るとか言ってたしね」
「いいねえ…………(うっとり)」
そのあたりで「わろてんか」の再放送がはじまり、
こんどは画面の中の一生さんを絶賛。
「このひときれいやなあ、ほんときれいやなあ」
「いまのおとこのひとはみんなみんなきれいやなあ」
(朝の放送でも、映るたびに言っていました)
と、めろめろ。
そういえば
『ゲゲゲの女房』では向井理がたいそうお気に入りで
「このひと横浜なんやっち? あんたしっちょん? 会ったことある? 」
とワタクシに言ってましたこのヒト。ご期待に沿えず申し訳ない。
その後わたしがお会計している間に
お食事サラリーマンさんに
「あんた子どもはおるの? 何人? 何歳?
これあげるけん子供に食べさせよ」
と、みかんと飴とチョコレート(か何か)を
あげていたそうです(兄談)
(びっくりしたと思う。すみません)
ともあれ(彼女的に)思わぬイケメンパラダイス。
お出かけを満喫できたようでよかったよかった。
そしてほんとにワタクシより生命力に充ちているわこのひと、
と
しみじみと実感する次第。
というわけで
「まだまだ元気そうですよ、安心してね」
と、そのあと父の墓前に報告。
盆暮れでも彼岸でもない寒い時期の遅い午後、
ひと気のない古いお寺で鳥の声が響く中、
のんびり箒やバケツやたわしを持って
うろうろするの、嫌いではない。
お天気が比較的穏やかな日でもありました。
(父方母方どちらも同じお寺様なので話が早くもあり)
手入れの行き届いた都市霊園とはまるで違って
(なにしろまわりには
『文久三年』とか『明治廿三年正○位』なんてお墓がごろごろと)
ちょっと夜には通れないような趣が濃厚な場所なのですが
夕暮れになりかけの明るい時間にのんびりお参り、
たいへんよい時間でした。
そんなお寺で見かけた見事なだれかのスタンプ。
あまりに状態が良いので記念に。
戦争中に小学校の教室として使われたという
本堂の軒下で発見。
なにかの鳥でしょうか。寒さから避難したのかな。
わたしの目線くらいまである高い高い床下
(という表現でよいのやら。建築に疎いのでわかっていません)
空襲の時にはみんなでもぐりこんで、
(墓石は人影と思われたのか)
機銃掃射でばたばた倒されるのを
そこから眺めていたと聞いています。
映画など観る習慣があるなら
『この世界の片隅で』を
いっしょに観たいなあ、などとも思うのですが
いかんせんそういう習慣がないので。
趣味の押しつけになってもよくないと断念。
そのころたいへんいいこでおるすばんしていたにゃんこ。
(以下2枚シッターさん撮影です。ほんとうにいつも素晴らしいお写真)
ありがとう。シッターさんにもいつも感謝。
「あたしがんばったよー!」
寒い時期のお留守番なのでたいへん不安でした。
各方面に感謝。
そして実家方面で調達してきた
大量のお野菜とそれ以外のもろもろ。
収まる気配のない高騰の折、本当にありがたい。
(ちいさめとはいえ)グリーンボール二個で160円って!