ねこの病院のあとまわしにしていた
ヒトの病院にあれこれ行って
ああなんだかまるでスランプラリーのようだわ、
と感慨しきり。
検査結果の説明を受けて
諸々の注意事項とかとりあえず緊急性はない話とか
次の定期検査をいつ頃にしましょうとか紹介状とか
そんな感じのあれやこれや。
ひとりであれこれこなしていると
なんだか大人になりましたねえ、と、
今更過ぎる感慨が胸をよぎらなくもなく。
気がつけばはしごした病院どちらのドクターも
地元の公立大学の附属病院経由でいまの場所にいる方でした。
単なる偶然なのですが、地元では珍しくない話なのかな、
ちょっとびっくり。
以前知り合いだったかたのお嬢さんが
そこの医学部に合格してそのお祝いを
渋谷の炭火焼のお店でしたことなどぼんやり思い出す。
検査の真っ最中に。
「公立なのよ、学費やすいのよ、
ほんとに彼女の努力は尊いしありがたいのよ、
出来る範囲で一番安く済むんだから
文句なんか言ったら罰あたるのよ
でもねえ、正直6年はしんどいのよ………
しかもうちにはまだ息子がふたりもいるのよ……」
とジョッキ片手に嘆きつつ、運ばれてきた帆立を片手に
「いやああん、武田久美子!! 」
と絶叫していたたのしいマダム。
渋谷の飲み屋は意外とT大生が多い、
場所柄意外なのかいやまあ考えてみれば妥当なのかも
というお話をして
隣のテーブルがじっさいにT大生で
もりあがっていたこと、
私はそのときこの本のことを
思い出していたことなどを
(たぶんこの本の登場人物は別の学校だけれども)
薄暗い検査室で、うつらうつらしながら連想したりなんだりかんだり。
とはいえ、待ち時間が長かったので
一気に本を二冊も読めました。わあい。
誤解を恐れずに言うと、わたしは自分の家族と
あまり共有するものがなく、
シンプルな義務感のようなものでごくゆるく
結びついていると思っています。よくもわるくも。
この作品で描かれる家族とはもちろんまるで異なるけれど
そんな心の裏側の、ひっそりしたところに
ゆるく光を照射するような作品。
不謹慎な話ではありますが、家族を襲う不幸な事件や事故などが
報道されると、わたしはそこに残された家族、
とりわけ子供のことをいつも考えてしまいます。
それこそ条件反射のように。
じんせい残り少なくなってるのに
なぜ子供の立ち位置なんだ、とも思いつつも、
今やほとんどただの生理的な反射なのでやめることも出来ない。
でも、かわすことはずいぶんうまくなりました。たぶん。
当人比でしかありませんが。
タイトルと装丁の美しさ、
そして予測した通りの静かでひそやかで
儚いのにかぼそさのない(むしろ骨太さがあるのに儚い)
堀江敏幸の世界。その豊穣に、存分に浸れるよろこびよ。
偶然手にした古いはがきに書きつけられた
詩のように思える文章に導かれて
その作者を探りゆくまぼろしのような物語。
そのひとの実在は濃淡さまざまに色あいを変えるけれど
その詩人の記した言葉の詩情はふかくひっそりと
長く長く東洋の作家のなかに降りつもり、
そしてそれを私(たち)は受け取ってしまうのだという
ことばの幻惑にひたれるだけでもう充分。
フランス語が出来たらもう少し楽しめたかも。
いえいえこれで充分。