私は武士の娘よ! というのは
まんぷくのヒロイン・福ちゃんのお母さん、鈴さんの口癖ですが
まあこのお母さんはっきり言ってワタクシの実母によく似ています。
もちろん松坂慶子さんと実母は全然似ていませんが!
「うちはお武家の家でね、
××の手美人ってご城下では有名だったのよ」
といっては自分の手の美しさ(自称)を
自慢していたのは、母ではなく父方の伯母。
彼女は中学校の音楽教師で、自宅でも手広くピアノを教えていました。
口の悪いほかの姉妹(父は末っ子次男坊なので全員伯母)は
「手の美しさを存分に見せつけたいから
○○はピアノの練習好きだったのよ」
などとくさしていました。
もうみんないないので懐かしいだけの昔語り。
そしてその伯母は、大変に話を盛る癖のあるひとだったので
まあたぶんブラフというやつでしょう。
おそらく私以外誰も覚えていない話。
そんな家に嫁いできた母は武士の家系という訳ではなかったので、
少なからず引け目に思ってはいたようです。
(野良仕事とそろばんで鍛えられた手をしていて
それも伯母に対して心理的にマイナスに働いた模様)
親戚にひとりはわりといるタイプのひとが
家系図のようなものを作ったことがあったのですが、
それによるとお武家の家といってもしたのほうの、
分家の分家の更に分家なので
世が世ならほぼ農業だけをやっていただけではないかと
私は思う訳ですが。
そういうことを声高に言う人ほどアレね、
ということの代表的な例のひとつではあります。
なにしろ母が嫁いできたころの家は、
周囲のなかでひとつだけ取り残されたような
藁ぶきのぼろぼろの家で、近所でも評判な
とんでもない貧乏だったと母は言います。
(昭和30年代の田舎町にしては珍しく)
結婚後に民間企業勤めをやめなくてよかったのが
彼女にとってはこころの支えで救いだったのだとか。
そして共働きの結果、評判のぼろ屋を数年で見事に
新築に建て替えることができて
きびしい姑に本当に本当に感謝されたと、
それこそ昨日のことのように
うれしそうにくりかえし母は語ります。
親戚の間で女帝とか横綱とこっそり呼ばれている
豪腕で声の大きい母ですが
この姑のことは本当に怖かったらしく
私のことを叱るときに
「あんたみたいな娘、お義母さんがもし生きてたら
どんだけ怖ろしいこと言われるか!!」
と幼いころから言われ続け、
このひとがこれほど恐ろしく思う存在が世の中にいたのか、
と、わたしがうまれる前にいなくなった父方の祖母のことを
いつもぼんやり思うのですが。
「そりゃそうよ
お武家の家の明治の女だもんそりゃ怖ろしいよ」
そういわれつづけていた父方の祖母が
実はお武家の家の出身というわけではなく、
大きな商家に女中奉公で入って
そこでその気働きを認められて
そこから祖父のもとに嫁いできたたヒトだったと
いうことを聞いたのもごくごく最近のことでした。
(あったこともないけど)
おばあちゃん武士の娘じゃなかったのか!
今更どうでもいいような、
でも私にとってはびっくりするような事実。
結婚したのは武士の(はしっこのはしっこのはしっこ)家
だったかもしれないけれど!!!
父方をさかのぼると、
士族という身分がなくなった時にいただいた
退職金のようなわずかながらのまとまったお金をもとに
きょうだいふたり、大阪に活版と紳士服の仕立てを
それぞれ修行に行ったのだとか。なんだか伝説じみています。
当時珍しかったハイカラな技術で、
(活版屋が父方)
地元に帰ってきてしばらくは大流行でいい時代が続いたそうで、
祖母が嫁いできたのはそのころのお話。
つまり、そこそこ羽振りがよかったらしいです当時。
そのあと戦時中の金属供出で活版の道具を
お国のために全部出したところ
やはりとんでもない大金が手に入って
ああこれで一生遊んで暮らせるわ、
と安心していたところ
(私の父は(旧制)中学生のころ自分の父親を亡くしているので
そのあたりの事情も絡んでいそう)
敗戦と凍結と新円切替でぜんぶパーになってしまったわ、
というのは
親戚の集まりで繰り返し繰り返し語られた話。
いやね、変だなあと思ってたんですよね。
評判のぼろ屋に住んでいてとんでもなく貧乏な家の
姉妹三人が三人とも高等女学校を出て
ピアノだお華だお茶のお稽古だと、
岩波文庫『谷間の白百合』に手紙を挟んで
お姉さまと文通していたとかなんとかかんとか、
そこはかとなく華やかなこと。
長子と17歳はなれた末っ子次男坊の父親の語る
『家にお金がなくて、行きたい学校を変更した。
変更した学校も、姉さんたちが編み物の内職をして
ようやくなんとか学校にいかせてくれた』
エピソードとのギャップがあまりにも大きくて。
そんなことをついしみじみと思ってしまったのは
先日朝ドラを見ていた母が
ヒロイン福ちゃんに
『お前も食べるか? 』
と、ラーメンをすすめた夫の萬平さんをみてひとこと。
『うちのお父さんな、おいしいもの食べても
わたしに一口分けてくれたこと
なんかなかったわ。ただの一度も』
『俺のはねえんか、一口くりい(一口おくれよ)、っちいうばっかりやった』
と、ものすごく真面目な顔で言いだしたことによる連想です。
去りてのちこんなことを言われているとは
なんという不手際ですか父上!
朝から思い出し怒りでみるみる不機嫌になってゆく母親に
「まあ、あの時代の男のひとは結構そんなもんじゃない?」
どうか萬平さんが父よりはるかに年上であることに
気づきませんように、
と祈りながらなんとかフォローっぽいジャブを
微力というより無力ながらよろよろと放つのが私にできる精いっぱい。
そんなこんなで、
まんぷく とてもたのしく観ています。
毎日長谷川さんに逢えるなんて
とんでもないぜいたくすぎて申し訳ないほど・・・・・・!
※鈴さんと実母がどう似てるのか全然わからないですねこれでは。
また改めてみます。トホホ。