間が空きました。ええもう盛大に。
ご無沙汰しております。
10月最後の日に母が他界しまして
ようやくひと段落ついたところではあります。
これから第二シーズン、
別のあわただしさたいへんさがスタートしてはいるのですが。
それでもひと段落はひと段落。
私じしんの術後治療もはじまりました。
様子をみながらまずは5週間。
術後の傷の治りがゆっくりで
(ドクターは
「まあ、こんなものでしょう」
というかんじでしたが
本人はいつまでもじゅくじゅくしてるなあ、
というイメージでした)
気になっていたのですが
こちらもセカンドシーズン。
新しく出された薬の副作用として
「眠気」「だるさ」
が
あげられていたのですが
たしかにもう、猛烈に眠い。
倒れるように眠い。昏睡かしら、と思うほどに。
もうすっかり忘れていましたが、
生理前に
めちゃくちゃ眠くて眠くて
どうしようもなくなる体質でしたそういえば。
これから毎日こんな眠さが続くのか、
少しずつ慣れてはいくものなのか。
すぐに診察の予約が入っているので
きいてみようとおもいます。
そうだとしても、仕方ないのだけど。
母は、4月に転倒→骨折して入院するまで、
介護認定も受けず
デイサービスのようななにかも利用せず
自宅で自分なりに、
かなりゆっくりではありましたが
おだやかにたのしい日常生活を送っていました。
たぶんね。
私としては、サービスを利用したほうがいいんじゃない?
というようなところもありましたが
本人が
「必要ない」
ということなので、うん、まあ、それならそれで、
と思いつつ
でもこの先どうなるのかしら、
どのタイミングでシフトできるのかしら、
などと、幾分不安に思っていました。
結果的には杞憂ということになりましたが。
シンプルかつ高齢者あるあるの
『大腿骨転子部骨折』
リハビリなどをすこしずつでもこなしていたのですが
認知症検査の結果が芳しくないことや
ベッドの上での時間が長くなるうちに
熱を出しやすくなったり、食欲がなくなったり、
実は慢性疾患があったことが発覚するなどして
すこしずつ体調が悪くなっていきました。
ひとつなおると、別の個所に不調が生じるなど、
繰り返していくうちに要素が静かに重なっていきます。
それでも7月の終わりには特養の見学・申し込みをして、
移動できる施設も仮決定していたのですが
直後に体調が急変、
リハビリ病棟から内科へ移動となり、
予定は取り消しとなりました。
その後まもなく
危篤→ICU入り、
これが連絡をいただけずに面会に行ったら
「ICUにいるので面会は5分です」
「危篤なのでいつ急変しても不思議はありませんが
つぎの面会は予約が取れないので最短で2週間後です」
と言われてひっくり返ったものでした。
※面会について、週一回家族限定二人まで、という制限のある病院でした
※その後
「うちの病院でのICUは、いわゆるICUというほど深刻じゃないです」
という謎宣言をいただくなど。いや、はっきりしたので良いのですが。
結果としては乗りきれたので良いのだけれど、盛大に混乱はしました。
のんきに差し入れのカットスイカを持ってきたのに
いきなりチューブまみれの状態で意識もなくて5分しか会えず
しかも2週間後って、もしかしてあれが最後になるかもしれないの??
というあたりが混乱そして不安の原因。
最終的に
病状は落ちついているが
治療としては積極的にできることはもうない、
というお話で
病院から老健のターミナルケアルームに移動したのが
10月の連休明け。
移動したときはものすごく元気で
ここ数カ月ではじめて
「食べたいものある?」
という問いかけに
「なし!! 梨が食べたい! 」
という返答があり、
小躍りして、すぐさま大好きな梨やプリンや杏仁豆腐を
わんさか抱えて持っていったものです。
つらい治療のない、すこしでも穏やかな日々を
過ごしてほしいなあと思い、
過ごせそうかしらね、とホッとしていたところですが。
ほぼそれが最後の会話らしい会話になりました。
翌日(正確には当日)の午前10時に面会の予約を入れていた
深夜2時
「呼吸がいつ止まってもおかしくありません」
という連絡をいただき、
そこから100キロ先の病院まで
タクシーをなんとか見つけて私が到着したのが04:30
兄の到着は05:20着
母が旅立ったのが朝6時でした。
がんばって待ってくれたんだろうなあ。
たいへん見晴らしのいい施設だったので、
ちょうど振り返ると朝日に照らされて
見事な紅に染まった別府湾と高崎山の風景を
たぶんずっと覚えているのかもしれない。
この写真は、居室の窓からとったものです。
エンゼルケアや室内の片付けなど、
ひと段落ついてからなので
もう太陽が完全にのぼっているのと、
窓が開けられないので、網戸越しですが。
それでもとても美しかった。きれいな秋の青空でした。
またこのあたりについては、ぽつぽつと書くと思います。
だらだらと、かな。
医療あるいは葬儀にまつわるエリアの
エトセトラがあまりにも面白かったので。
※備忘のための一文
猫ともさんが通いでシッティングしてくれて甘えたおして健やかに過ごしたボーイ。電気ひざ掛けの上におもちゃを持ち込んでご機嫌です。なんだかすっかり、ひざ掛けと背中のいろが同じトーンになってしまいました。
「ご機嫌です」なんて言っているけど、友人によるとものすごく激しい甘え方で、ご飯をだしても大好きなちゅーるを出してもくっついてきて離れなかったそうな。
一通り甘えたおしてなでてもらって、そこからようやくごはんに行ったということです。
友人曰く「私も(仕事のあとに行くから)あんまりかまってあげられなくって」「めちゃめちゃさみしいんだと思うよ。 おうちに帰ったら、存分に甘やかしてあげてね」
こちらは、わたしとの再会のあと甘えたおして暴れたおして、家じゅう走り倒してようやくすっきりした顔のねこ。
※2週分まとめて大河を視聴中。
「エアコンの上に行っちゃうよーん?? 行っちゃうよーん?? いいのーー?? えへへへいいのー?? 」
ようやく少しは落ちついて過ごせるかな。
蒼くんには本当にありがとう。
ちこが旅立ったのが
20200123
母は
20230131
なんだかアナグラムのようで笑ってしまった。
不謹慎ではありますが。
あったことのないふたり、
向こうに行ってもお互いわからない、
そのこともなんだかいいと思う。
(「ネコなんか早く捨てなさい」
と
真顔で言うような母でした。まったくもう)